我慢なんて、日常茶飯事にしてきた。
小さいころから、それはそれは普通に。

私が我慢することで。
これ以上、迷惑かけないように。
これ以上、怒られないように。
これ以上、何かが起こらないために。

我慢することを良し、としてきた。

言っても、何もしてくれない。
言っても、怒られるだけ。
言っても、無駄だったから。

自分が我慢すれば、これ以上は何も起こらない。
これ以上、傷つく必要がない。
 

痛い、とも。

怖い、とも。

泣くことも。
 

小学生くらいのころから、我慢我慢。我慢我慢。

だから、同じく小学生の子供に、
「そのくらい我慢しなさい」と思ってしまう。

そのくらい我慢すれば、場がうまく回るのに。

そのくらいなことで不機嫌になるなんて、気持ちの切り替えが下手すぎる。

我慢しない子供を見て、「イライラ」してしまう。
めちゃめちゃ感情が揺さぶられる。。。
「我慢しない」ということが、すごい私を動揺させる。感情を高ぶらせる。


自分が我慢すれば・・・という人生だったから。
すごく反応してしまう。


ひたすら我慢していたから。

ずいぶん自由になってきたと思ったけど。
まだまだ、我慢してやり過ごすということを、

誰かに嫌なことをされても、誰にも言わずに、何事もなく我慢するのが普通だった。
言わないことがいいって、私さえ我慢すれば。。。
・・・これって、あまりにも自分を大事にしてなさすぎたんだよね。

誰かに嫌なことをされた場合、我慢するのではなく、誰かに伝えるということが大事なんだよね。
嫌なことされた!こんなことされた!
子供のこういう声って、大切なのかも。
私も聞いてほしかった。
いやだって。痛いって。つらいって。思いっきり泣きたかった。



そうやって話すことが、大事なんだよね。
伝えても意味がない、と思ってひたすら我慢するっていうのは苦しい。
私も苦しかった。

苦しかったはずなのに。
標準装備の「我慢」は、なかなか外すことができない。

これでも、ずいぶん、楽になってきたのに。
まだまだ、「我慢できない」=「がんばっていない」になってしまう。
そうじゃないんだよな。

そうじゃないんだ、私。
我慢は体に良くないんだ。
しゃべったほうがいいんだ。
聞いてもらったほうがすっきりするんだ。

相手のことはとにかく、子供の時分の話を聞いてほしかった。
案外、悪いことしたときはどこかで子供の時、反省もしてた。
ただ、ひたすら、味方になってほしいことがあるっていうのも知っている。

「我慢」はやっかいだ。
根に残る。
とってもとっても、根深く生えているし、ぶちブチ切れて、完全除去は難しい。

自分の我慢はなかなか気づかなくなったけど。
子供の我慢させようとしている自分に気づくと、本当に嫌な気分になる。