宮崎では珍しい麦畑。
風に吹かれ、一斉にサワサワと踊りウェーブを作る麦、ドビュッシーの音楽が聴こえて来そうな光景です。


ゴールデンウィーク、皆さんいかがお過ごしでしょうか?
今年は全国的にお天気に恵まれた様子のゴールデンウィーク。関東や北日本でも夏日となったとか。
しかし、宮崎は今一つ天候不順。お日様不在で涼しい日も多く、我が家で一番の寒がり屋のバージュは……














毛布サンドウィッチになっていました。
暑いのが苦手な私とノアゴンには信じられないですが、同じく寒がりキングのpopさんはバージュと抱き合って寝ていました(笑)














お天気もイマイチなので、家でリース作りをしました。
材料は全て、うちの庭とご近所で拾ったものです。
これはくるみとマガリちゃんのローリエがポイント。














こちらは魔除けのリース。
八角のようなスター型の実は、シキミの実です。中に艶のある丸い種が入っています。見た目も可愛い形で、香りも爽やかなのですが、かなりの毒性があります。八角と間違えて食べたら大変なことになります(八角の香りは甘みがありますが、シキミの実はありません)。誤食事故が絶えないらしいので要注意!八角との著しい違いが無く、見分けが難しいのですが、日本で見掛ける物は殆どシキミだと思った方が良いようです。
シキミは神榊と並び、お供えによく使います。それは土葬が主流だった時代、死体を掘り起こす動物を寄せ付けない為に、シキミの毒性が魔除けの役目を果たしていた習慣の名残なのだそうです(シキミには実だけでなく全草に毒性があります)。また、その強い香りを利用して、焚いて土葬の臭いを消していたとか。これはエジプトのミイラ作りにハーブを使っていたのと同じですね。
抹香臭いと言う言葉はこのシキミ焚きから来ていて、これが今もお線香と言う形で続いているようです。

魔除けのリース、何だか本当に強い魔除け効果を発揮している感じがします。

















一転して、こちらは可愛らしいリース。
ハート型の組み合わさったクローバーか花のように見えるのは、山芋の種です。形も可愛いですが、貝殻の内側みたいな光沢があるのも魅力です。
たいていの山芋の種は高い木のてっぺんに巻き付いていますが、風が吹くとくるくるカラカラと庭に落ちて着ます。
それを拾い集めて作りました。
山芋の種は風車のようによく飛ぶので、飛翔のリースと命名。















少ない晴れ間には近くの海へ。
ゴールデンウィークでも、人が居ない(笑)
人は居ないけれど、波打ち際にはヤドカリや小さな蟹が居ました。
この砂浜にはアカウミガメが産卵に来るそうですが、いつかお会いしてみたいものです。そうしたらカナヅチな私でも竜宮城に連れて行って貰えるでしょうか?
















popさんが子供の頃は、こんな石ころは無く、この何倍も広い砂浜が広がっていて、みんなで野球をしていたほどだったそうです。全国的に自然の砂浜が(人工の砂浜は除く)少なくなっていますが、これも地球温暖化現象、人間のせいですね。
















ノアゴン13歳のバースデーお祝いをありがとうございました。
我が家では唯一、誕生日がわかっている子。
ヴェルサイユ生まれのフランス人ながら、今では畳生活が板についています。



さて、毎年こどもの日にお話している子供の頃の思い出シリーズです。
・2010年のテーマ:子供の頃の遊び
・2011年のテーマ:子供の頃の習い事
・2012年のテーマ:子供の頃の給食
・2013年のテーマ:最も印象に残っている学校行事
・2014年のテーマ:子供の頃のおやつ


過去記事はリンク貼りが面倒なので(笑)、もし読まれる場合はブログテーマの「子供の日シリーズ」からお願いします。


今年のテーマはランドセル。

最近ではカラーもデザインも多様化し、海外の方が作りの頑丈さとファッション性からお土産に購入して帰ったりもするそうですね。

皆さんはどんなランドセルでしたか?
どなたに買って貰いましたか?
私立校だと学校の指定だったり、中学校もランドセルだったりもしますね。

私はパリに行くまではずっと公立校だったので、ランドセルとの付き合いは小学校6年間。
私のランドセルは、私が生まれてすぐに
「この子のランドセルは絶対に僕が買う!」
と母の弟が声高らかに宣言した為、叔父さんが買ってくれました。祖父母か両親と言うのが大多数だと思うので、叔父と言うのはちょっと珍しいかもしれません。
叔父は私が生まれた頃はまだ医学生、もちろん独身だったので、新生児と言う医学的興味と共にそれはそれは私の事を可愛がってくれました。3人兄弟の末っ子だった叔父さん、歳の離れた妹が出来たような気持ちだったのかもしれません。私の赤ちゃんの頃の写真、父よりも叔父との方が多いほどです。
その後、結婚しましたが、なかなか子供が出来なかったこともあり、事ある毎にお小遣いをくれたりお菓子を送って来てくれたり。
子供の頃、こっそりと一人でオーケストラのレコードを掛け、お菓子の缶の上に乗って指揮者のマネをしていた音楽好きな叔父ですから、私のピアノにも肩入れしていました。が、応援や賞賛よりも、良い結果が出なかった時にいろんな角度から慰めてくれた事が印象に残っています。
「chat-vertは勉強が出来るのだから、こっちの道に来たってイイんだよ」
と、精神的逃げ道を作ってくれたり。










そして満を持してのランドセル、通販などが殆ど無い時代のこと、勤務医をしていた大阪から日本橋の高島屋にわざわざ出向き、最も上等のランドセルを買ってくれました。
艶消しの落ち着いた赤のランドセルで、非常に柔らかい牛革でした。背中や肩に当たる内側部分はクリーム色で中綿がたっぷり入ってふっくらした設計で、背負い心地も考えられていました。

しかし、幼い私にはその高級感や有り難みはまだわからぬまま小学校生活がスタート。
小学生のこと、「私のランドセルは柔らかい牛革製だから丁寧に扱わなくては」な~んて考える筈もなく、時には校庭に投げたまま遊んだり、時には上に座ったり、時にはランドセルを背負ったままブロック塀に寄り掛かったり、時には友達とランドセル押しくらまんじゅうをしたり!
それでなくとも、毎日毎日、ロッカーに出し入れしたり、風雨にさらされたりを6年間もするワケですから、無数の傷が出来、革もボロボロになるのは当然のこと。革が剥がれれば色も落ちます。私のランドセルは4年生にもなる頃にはかなり薄い色になってしまいました。これがイヤでたまらず、毎日、帰りの会で先生が話している間じゅう、赤いペンで塗っていたのを鮮明に覚えています。
「みんなのランドセルはツルツルで色も真っ赤なままだし、傷も出来なくて綺麗。私のランドセルだけボロボロ剥がれて色も落ちてイヤだ!」
と、母に訴えては困らせたものです。みんなのランドセルはビニール製なので、経年変化が殆ど見受けられず、ツルツルなのは当たり前。ボロボロになって来るのも革ならではの味わいだ等と、小学生の私は知る由もありません。
母が革用のクリームやワックスを付けてくれましたが、焼け石に水でした。

でも、小学校も終わりに近付いて来ると、だんだんと自分のランドセルが特別な物なのだと気付き始め、あれほどイヤだと思っていた気持ちは消え去りました。
短絡的に赤いペンで塗った跡が逆に残念になったり。大人になってみれば、そう言う事も含めて良い思い出ですが。



popさんにもランドセルの思い出を聞いてみたところ、なんと「ランドセルの記憶が全然ない」だそうです!
ずっと、近所の造り酒屋で貰った木綿製の手提げで通っていたと言うのです。小学生なのに焼酎の名前入りの手提げって!
そう言えば、残っている写真を見ると、みんながランドセルを背負っている中、popさんだけランドセルを背負っておらず、気軽な手提げを持っています(笑)
ランドセルを買わなかった筈もなく(寧ろ人一倍、張り切るタイプのおばあちゃんが傍に居たワケですし)、恐らくpopさんのこと、川や海で流されたか、何処かで遊んでいるうちに無くしたのでしょう。
まぁ、その焼酎の名前入りの手提げが気に入っていたそうなのでイイのですが、学校の先生や友達も何も言わなかったものかと思うとほの可笑しいです。

そもそも、ランドセルっていつ頃からみんなが持つ物になったのでしょうね?
















そう言えば、私が小5で転校するまで最も仲良しだったゆかちゃんと言う動物少女が、私の家に遊びに来た時、ランドセルの中に飼い猫のチャロちゃんを入れて来たのには驚きました。「ランドセルってそんな風にも使えるのか~!」と感心した私です。思えば、ゆかちゃんのあのランドセル猫が、私の初めての猫との接触でした。小3の時かなぁ。

皆さんのランドセルの思い出もお聞き出来たら嬉しいです。


玄関口で毛繕いする寛ぎモード全開のへんこちゃん。まだ目の下に引っ掻き傷が見えるでしょう?
本人は全く気にしていませんが、美人な娘の顔に傷が残らないか気になって仕方ないこの頃です。













宮崎県で30万頭の牛や豚が殺処分された口蹄疫から今年で丸5年。畜産の町であるここはまさに爆心地でしたから、毎日毎日、防護服に身を包んだ殺処分班がマイクロバスで来ては、真っ白な石灰を撒き、処分した動物を埋める穴を重機で掘る作業がそちこちで繰り広げられました。
ゴールデンウィークの頃は、まだ風評被害を防ぐ為に報道規制がされていて、現地ではとんでもない状況になっているのにまともにニュースにもならず、息が詰まる思いでした。popさんの幼馴染みから
「うちの豚舎も出た」
と電話があったのもゴールデンウィークでした。
我が町では約半数の畜産農家が廃業、完全なる復興とは言い難いです。
30万もの命がこの土の下に眠っている事も、もはや全国的には忘れ去られ掛けています。
現在進行形の東日本大震災の被災地でさえも半ば過去の事にされているのですからね。


高知県の保健所では、もう何年間もの長い間、猫が即日殺処分されていると言うショッキングな事実を先月知りました(高知県の人口比率猫殺処分数は、10年連続で全国ワースト)。ネットのごく一部では不正疑惑や問題点が糾弾されましたが、一般的な報道は皆無だったので知らない方が殆どでしょう。

殺すのも守るのも人間。
直接、手を差し伸べるのは難しくても、目を背けないで監視するだけでも救える命があります。日本人は知ろうとしな過ぎると、海外のジャーナリストが言っていました。原発放射能、アスベスト、ショートニング……不都合な事実はうやむやにされ、経済が最優先され、無知な人々が気付かぬまま犠牲となる日本の歴史……自分が知り得た僅かなことでも、こうしてネットに載せる事が命を守る力になるのかもしれません。来る日も来る日も真剣に考えていたら頭が変になってしまいますが、命について考える事を止めてはならないと思います。


最後に、ネパール大地震で亡くなった何千人もの方々に心から哀悼の意を表します。