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“ブタクサアレルギーですね”
と、中学生の時に診断されて以来数十年。今年の秋は一番ヒドイかもしれませんあせる
目は痒いし、鼻水ぐずぐずで頭もぼんやり(←コレはいつも)。皆さんはいかがですか?

…気を取り直して。
前々回記事でご紹介したジェルブレのビスケットも懐かしかったですが、またまた懐かしきもの発見発見!

このチーズ、まだ十代だった私がフランスで初めて買ったチーズなのです。フランスのどこのスーパーにでも売られている定番商品。
フランス人に言わせれば、日本でもお馴染みのkiriだとか、こうしたパッケージに入ったチーズはチーズじゃなくてお子ちゃまが食べる物だよ、とのことですが、“なんちゃってチーズ”的な存在ながらも、やっぱりフロマージュ王国フランスの製品なだけあって美味しいのです。
この写真のチーズは、数種類のハーブとニンニクが練り込まれたクリームチーズで、クラッカーやパン等に付けて食べるタイプ。それこそ、この間のジェルブレのビスケットにもピッタリ☆
マヨネーズ替わりにも使えます。
ハーブの香りと、軽やかな酸味が爽やかで口当たり良く、普通のチーズのイメージとはちょっと違うかもしれません。多分、普通のチーズよりもカロリーも低いと思います。塩分も薄め。

ハマって何度もリピ買いしましたが、その後、チーズ大好きな私はスーパーのチーズコーナーを卒業!
“フロマージュリー”なる、チーズ専門店で山羊チーズから羊チーズから、あらゆるチーズを試し、チーズ天国を味わったものでした。
でもでも、スーパーのチーズコーナーの品揃えも圧倒されるものでした。チーズのみならず、ヨーグルトやプリンやムースも日本の比ではない商品数でした。乳製品の懐の深さは日本とは比べ物になりません。
ダノンの本社はパリですしね(ちなみにpopさんは、ひょんな事から、ダノンの社長の御曹司の運転で(普通、逆でしょ!)ユーロディズニーのテレビロケに行った事が!)。

プリンも、ちゃんとしたクレームブリュレだし、ムースも相当ハイレベルでした。
チーズとクレームブリュレは、私と同じく乳製品好きなノアゴンに、いつも狙われて困ったものでした。









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10月はお祝いラッシュな我が家。明後日はpopさん、月末は私の誕生日、そして本日18日はバージュのうちの子記念日。
6年前のこの日、急激に寒くなったのを機に、お庭猫からおうち猫となったバージュ。
寒がり屋なバージュは、毛布やらストーブやらがあるポカポカなおうちの中の世界を見てもう有頂天でした!
嬉しくて、幸せで仕方ないと言う感じでした。







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ヌ~ン。



ただ、大きくて真っ黒なこの方の存在にはドン引きしていましたが。
“げっ、こんなの居ったと~!聞いちょらんし”
って感じでした(笑)

ノアゴン自身は、可愛い子猫バージュに興味津々で好意的だったんですけどね。
しかし、10日ほどでそこそこ打ち解け、いつの間にかお転婆バージュにノアゴンの方が押され気味に形勢逆転!
そして絶妙な距離感の(笑)、今に至るのです。









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らしいよ、らしいよ~!(↑噂話をする女子高生風な表情)


家族になって6年。
いつも
“スンスンスンス~ン♪”
と、鼻歌混じりに陽気でご機嫌なバージュ。太陽のように明るいエネルギーをみんなに与えてくれるムードメーカーです。
甘える時も一直線、心配もしてくれる、怒られればすっ飛んで来て謝る。。。
バージュほどの正直者を見た事が無いと言うぐらい、素直で気立てもいい子です。
ひねくれ変わり者の多い我が家で、一体誰に似てこんな真っ直ぐな子に育ったのか不思議なぐらいです。
アリガタヤ、アリガタヤ。




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前々回記事にもたくさんのコメントをありがとうございました。
ジェルブレのビスキュイ、ダイエットしながらも美味しく栄養バランスも良く、と言うコンセプトがフランスらしくていいですよね。
南フランス産の小麦やフルーツなど、素材へのこだわりも嬉しいポイント。ジェルブレは歴史ある南フランス発の健康食品メーカーですが、日本ではビスケット1箱の原材料を国産で揃えるのは至難の技ですよね。ビスケット1つにも、食糧自給率100%超えのフランスの真の豊かさを垣間見るようです。
種類によって重量は違いますが、1箱250g前後で398円はそれほど高くないと思います。
ジェルブレのHP (←リンクしてます)で、各県の取扱店が調べられますよ~!













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さてさて、記事タイトルのマダム・ジラールのお話を。
↑↑写真は、パリ時代にpopさんが住んでいたアパートの入り口。
popさんのアパートは、オペラ座とモンマルトルのちょうど間ぐらいにあり、とても便利な場所でした。
大歓楽街ピガールからも程近く、各国からの観光客で賑わい、治安も良いカルチエでした。ムーランルージュの横の坂を上がれば、映画アメリで有名になったカフェが。ここは有名になるまではちっともお洒落な感じではなく、観光客もあまり入らず、ジモティー御用達のカフェでした。私たちもよく利用し、ノアゴンも獣医さん帰りに立ち寄ったカフェでした。
何より充実していたのは食!
青果店、肉屋、魚屋、チーズ屋、パン屋、チョコレート屋、お惣菜屋、中華屋、ワイン屋、キッシュ専門店。。。
これらが数軒ずつあり、どれもハイレベル!
一番美味しくて親切だった中華屋さんの店名は、、金玉あせる
キッシュ専門店の兄ちゃんは、すぐに電話番号を聞いて来る憎めない軽薄さが可笑しかったものです。
臓物屋なるものもありましたが、明らかにカツラとわかる分厚い眼鏡のマダムが、異様に薄暗~い店内に佇んでおり、結局、一度も入れませんでしたあせる
しかし、あれほど食品店が充実している界隈はグルメの都パリでもなかなかありません。思い出ぎっしりのカルチエです。








そんな賑やかな街中から一歩、路地に入ったところにあったpopさんのアパート。
同じ通りにはギュスターブ・モロー美術館もあり、落ち着いた住宅街の様相でした。
このアパートの大家さんだったのがマダム・ジラールでした。
私がマダムと初めて会った時には既に旦那さんは亡くなっており、息子さんも結婚して家を出ていて、マダムは一人暮らしでした。
マダムは親日家で、
“日本人はマナーも良くて綺麗好きだから安心”
と言って、popさんの入居をとても喜び、格安でマダムの一番近くの部屋(階段をいっぱい上がらなくても良い部屋)を貸して下さいました。
なんと、popさん以前にも、この部屋に日本人が入居した事があるとのことでした。








マダムは生粋のフランス人でしたが、本当に仕事熱心で綺麗好きでした。管理人も自ら勤め、快適なアパートを保とうと、清掃はもちろんのこと、騒音を出したりする迷惑な住人が居るとすぐに注意しに行き、時には追い出すことさえある厳しい一面もありました。誇りを持って管理人をしていました。









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この、いかにもパリのアパルトマンと言う雰囲気たっぷりな螺旋階段、素敵でしょう?
階段の上り口に大きなスイッチがあり、それを押すと各階の電球がポンポンポンッと音を立てて点くのが好きでした。
マダムはこの螺旋階段を、毎日毎日、モップと雑巾とバケツを携え、1階から屋根裏までピカピカに掃除していました。
当時、マダムジラールは70代前半でしたが、心臓が悪かったこともあり、掃除をしながら階段を上り下りする音以上に、マダムの弾んだ息切れの音が聞こえ、心配のあまり声を掛けずにはいられなかった事がしばしばありました。
すると、ラテン系にしてはあまり濃くない顔を更に柔和にして
“全くね~、歳だわね”
と、心配させまいと笑って見せるのでした。







私はこのマダム・ジラールが大好きでした。
これまたフランス人にしては珍しく、それほど多くは語らないけれど、非常に通じ合うものを感じました。
たまに作ったご馳走をお裾分けし合ったりする中で、互いの家族のことや、悩み事を話したりもするようになりました。
私と母の関係が最悪だった時、母とpopさんとピアノの間で苦しんでいるのをいち早く察してくれたのもマダム・ジラールでした。
国際コンクールを受けに行く直前、この螺旋階段の踊り場で
“あなたが一番ツライのはわかってるの。でも、必ず幸運が舞い降りるわ”
と、抱き締めてくれたマダムの包み込むような優しさは、未だに思い出すたび涙が出ます。
フランス人は気取っていてプライドが高くて冷たいと言ったイメージを持たれ勝ちですが、時に信じられないほどの情愛・温かさを示します。でも、マダム・ジラールのあの優しさは特別でした。






まだ私が片言フランス語しか出来なかった時も、お財布も鍵もスリに盗られて半ベソで入口のチャイムを押した時も、精神的に不安定だったマイ母が爆発してマダムの部屋に突如として押し掛けた時も、いつもマダムは“大丈夫よ、大丈夫よ”と私の味方をしてくれました。







ところが、12月のある日のことでした。
アパートの住人全員のレターボックスに、一通のお知らせが。
“残念ながら、私の健康状態の悪化と年齢によりアパート管理が難しくなりました。
突然ではありますが、アパートの権利を業者に売却する事が決定しました。2月明け渡しとなりますので、1月末までに皆さんにアパートから出て頂かなくてはなりません。本当に申し訳ありません”
。。。
レターボックスの前で呆然と手紙を読んでいるとマダムがやって来ました。何と言ったら良いのかわからない私に
“心臓の大きな手術を受ける事になってね。もう続けたらダメだってドクターストップがかかったの”
と話してくれました。私もpopさんも残念でなりませんでしたが、悲しんでいる暇は無く、クリスマスも年末年始も返上で引っ越し作業!






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引っ越し先はここ。
私の音楽アパート。幾何学的で、アールデコ調のパリのアパルトマンとは真逆の雰囲気あせるしかもこの入口の自動開閉門はちょくちょく壊れて開かなくなり、スカートで出掛けると大変な目に(エイヤッと上によじ登るしかないので)!






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同じ螺旋階段でもなんと風情の無いことよ!
パリでは車などもちろん持って居なかったですし、家具付きアパートが大半なせいもあってか、日本のように格安・親切な引っ越し業者はもちろん無いですから、毎日電車で2往復してはチマチマ荷物を移動させました。何でもアリなパリだからいいですが、日本だったら完全に夜逃げと勘違いされそうな格好で、2人してスーツケースやらボストンバッグに荷物を詰め込みえっちらおっちら。キッチン用品と仕事関係の書籍の多さには閉口しました。
しかし、バタバタしているうちに悲しみが少し薄れたのも確かです。









マダムはマダムで、手術前の検査やら、アパート引き渡しの件やらで急に不在勝ちになり、会えない日が続きました。
やっと片付けが終わり、本当にバタバタのうちにお別れの日が来ました。リミットギリギリの1月末でした。しかし、この晩に限って私はオーディションがあって行けずじまい。
後でpopさんに聞いた話は、マダムは14区の息子夫婦のところに間借りするけれど、自分1人で住めるアパートを探していると言うこと、入院中は人に会いたくないから病院は教われなかったと言うこと。
でも、手術が無事に成功して新しい住居も決まって落ち着いたら電話すると言うので、私たちの音楽アパートの電話番号を伝えたと言うことでした。










2月に入り、マダムの面影を求めてアパートの前まで行ってみましたが、既に住人は誰1人おらず、リフォームの業者が出入りしていました。
あの素敵な螺旋階段も、マダム選定の上質な家具も、みんな変えられてしまうのかと思うと寂しくなりました。
結局、、、私たちはそれから約1年後に帰国となりました。マダムから電話は掛かって来ませんでした。私たちには連絡手段が無く、パリに山ほど居そうなマリー・ジラールと言う名前の人を探す術もありませんでした。
手術が上手く行き、新しいアパートで今も元気に暮らして居たらどんなに嬉しいでしょう。
お別れさえもきちんと出来なかった大好きなマダム・ジラールのことを考えるたび、胸がキュッとするのです。









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お母さんご飯!



相変わらず食欲の鬼なマガリちゃん。

こうして玄関前で待ち構えています。








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ボイラーの上に乗り、お風呂場を覗き込むマガリちゃん。



お母さん、ご飯。


ヒャーあせる助けて~!