小さな花と大きな木☆パリ帰りグルメ猫とピアノ日記 in 宮崎-TS2B0181001.jpg
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写真は庭に咲いたボリジの花。ブルーが何とも涼やかです☆

前回の記事に書いた安川先生も竹島先生も、私が中学~高校時代に教わった先生です。なのでお2人に思いを馳せるこの季節は自然と遠い昔の中学、高校時代を懐かしく思い出します。
今日書くのは中学時代の親友、さっちゃんのこと。。。




さっちゃんは、小5の終わりに転校して来た私とじわりじわりと仲良くなった大人しくて素朴な子でした。私は体育会系でも無く非常にマイペースでちょっと変わっていたので、いつもクラスの中心に居て大勢の友達とガヤガヤやるタイプではありませんでした。
じわ~っと静か~にゆっくり仲良くなるような子が好きでした。でも仲良くなってしまうととことん(^w^)
さっちゃんはまさにそんな私にピタリと当てはまったのでした。



しかし私とさっちゃんは周りから見たら不思議な取り合わせでした。背も大きくてピアノ等で何かと目立つ私に対して、さっちゃんは常に控え目で小柄で地味。見た目も反対!赤茶けた髪の毛に洋風な顔立ちの私に対して、カラスの濡れ羽色と言うぐらいに真っ黒な髪の純和風なさっちゃん。



中学に入る頃にはすっかり大の仲良しになった私とさっちゃん。部活も“chat-vertちゃんが入るところに入るから好きなところに決めて”と言うので同じ部活に入りました(帰宅部は認められない中学でした)。私はその頃、東京への片道1時間半のレッスンと毎日のピアノの練習で大忙しだったので本当のところは部活どころでは無く、運動部やブラスバンドは練習が大変だからパス。結局残るは美術部か科学部。美術なんて絵心ゼロだから無理!
で科学部に入部しました。今思えば植物や虫好きな私には最適な部活ですが、当時は完全に消去法で残った部活でした。



科学部は不人気もいいところで在籍している先輩もゼロだった(!!)ので、顧問の先生に入部したいとさっちゃんと2人で言いに行くと、オカッパのお茶目なおばちゃん先生は狂喜しました!先輩ゼロなのに私たちの学年は、私とさっちゃん以外にも男の子が数名入部して急に6人の部活になりました。顧問の山田先生はますますはしゃいでいました(笑)



科学部はともかくいい加減なゆる~い部で、男の子はずる休みで1人か2人しか来ず、部室にあるテレビを点けては大相撲中継を私が勝手に解説すると言うような適当な部でした。顧問の山田先生はそれを見ても“ま~たchat-vertちゃん相撲見て~”ぐらいしかおっしゃらない寛大な先生でした。
活動は“シャボン玉の研究”と称してシャボン玉遊びをしたり、“鼈甲アメの研究”と称して作ったアメをみんなで舐めたり、“身近な草木から和紙を作ろう”と草木を探す名目でお散歩に出掛けたりしていました。



しかしそこで何故か当然の如く部長に選ばれてしまった私。部長会議だとか部費会議の時なんて私1人が1年生であとはみんな3年生!この年頃って先輩後輩とかもうるさいのもあるし、1年2年の歳の差が大きく感じるものです。
それでも科学部はこれまたどういうワケか、科学研究コンクールとか言うのに適当に応募したらいきなり最優秀賞を貰ってしまったのが認められて、有り余る部費を貰う事が出来ました。
山田先生はまたまた狂喜して最新式の顕微鏡だとかを買っていました。。。
科学部での思い出は宝です。皆さんは中学や高校時代に何の部活をされていましたか?




本当はさっちゃんは、小柄で大人しいので時折イジメられそうになっていました。でも変わり者で口が達者な私がいっつも一緒だったので誰も何も言わなくなっていました。
私とさっちゃんはいつでも一緒の、唯一無二と言うほどの親友になっていました。先生達にまで有名になるほどの仲良しぶりで、中3の時には“必ず2人は同じクラスにしてあげる”と約束して貰えたぐらいでした。



しかし中3に入り、私はますます忙しくなって行きました。
今では考えられないことですが、私は県の模試でも一桁の順位を取ったりするぐらいに勉強が出来ました。1日に4時間も勉強させれるスパルタ塾に行っていたので出来て当たり前なのですが。
東京の音楽高校の受験に失敗してしまったので、地元の音楽系クラスがある進学校に行くことにした私。
東京の音高じゃないならば高校は通過地点だし、もうどこでもイイや~、と適当な気持ちで進路を決めてしまいました。さっちゃんのことなど何も考えずに。。。



地元の音高なので、毎週東京くんだりまでレッスンに行っていた私は当然簡単に受かりました。しかし大学の附属高校で、しかも新設の高校だったので地元高校としてはかつて無い倍率にはね上がっていましたが。。。さっちゃんは私立の女子高に行くことになりました。
進路については、何故かさっちゃんと話し合った記憶があまりありません。ただ“女子高、なんか女の園みたいで意地悪な人とか居そうでヤダなぁ~”
とポツリと言っていたのを覚えています。



卒業式の日、式を終えてから、さっちゃんと私、それにさっちゃんちのお母さんと私の母とで食事に行きました。そこでさっちゃんのお母さんから聞いた話は今でも忘れません。
さっちゃんは三者面談の時や進路相談でもずっと、私と同じ高校の何科でもいいから受験したいと言っていたのだそうです。
“サチ(さっちゃんのこと)には無理だからダメって先生に言われたんだけどね、最後の最後までごねていたのよ~”と。



東京の音高に落ちて自分のことでいっぱいになっていて、さっちゃんの気持ちに気付いてあげられなかった自分がたまりませんでした。大人しくてあまりモロに感情を表には出さないさっちゃんは、私が地元に残ることになってからと言うもの、1人必死で勉強していたのです。私と別れたく無いと言う理由だけの為に。



しかし高校は別れてしまいましたが、私たちは常に手紙のやり取りをし、休みには会ったりし続けて行きました。高校卒業後私は渡仏し、さっちゃんはお菓子の専門学校に進みました。やはりこの手紙での関係は相変わらず続いていました。一時帰国をすれば会いに行きました。



そんなさっちゃんが、なんとお菓子の学校の研修旅行でパリに来ることになりました!私は美味しいカフェやらケーキ屋さんやらショッピングをするお店やら、いろいろ張り切ってリサーチしてさっちゃんを出迎えました。
しかしさっちゃんは“どこも行かなくていいよ”と、自由時間いっぱいいっぱいまで、1軒のカフェで穏やかにお喋りをしました。
“chat-vertちゃん、ちょっと痩せ過ぎだよ。大丈夫?パリ、大変なんじゃない?ちゃんと食べなよ”と私を気遣う言葉が、パリで悪戦苦闘中だった私には染みました。



私はその後、悪戦苦闘した成果がどんどん実り、国際コンクールやフランス演奏家資格試験で成功してコンサートの依頼もかなり増えて行きました。さっちゃんに手紙を書く割合も忙しさの中で減って行きました。さっちゃんから手紙が来ることもだんだんと少なくなって行きました。
その後、一度だけ一時帰国をした時に会いましたが、どこかギクシャクした感じがしました。さっちゃんは、私のことを別世界の人のように思うようになってしまったのかもしれません。私は私でさっちゃんの地元話や就職、恋愛の話に上手くついて行けなくなっていました。
お互いが変わってしまった年月を悲しく思いました。



あれからまさに自然消滅的に連絡しなくなってしまいましたが、今でもさっちゃんが宮崎に来る夢なんかを見たりします。
こう言うのって、ちょっぴり切ないですね。いつかまたゆっくりと旧交を温め直せたらいいなぁ。


皆さんには特別な思い出のある友達は居ますか?