小さな花と大きな木☆パリ帰りグルメ猫とピアノ日記 in 宮崎-090115_1805~01.jpg
前々回に“今度またぴよちゃんのお顔を見たい!”と言うリクエストが多かったので、元気いっぱいに動き回るぴよちゃんをカメラ片手に追い掛け回して何とか撮りました!これが今のぴよちゃん。左目はこんなで独眼竜だけど、白い喉元とピンクの口と鼻がやっぱり可愛いっ(←親バカ(笑))




さて、昨日であの阪神大震災から丸14年が経ちました。私自身は震災の時は関東に住んでいたのでを経験はしていませんが、popさんは神戸から程近い場所でお義母さんとおばちゃん達と共に被災しました。この時期になるとpopさんやお義母さん達から聞いたその壮絶な体験と震災の恐ろしさ、普段からの備えの大切さを改めて考え、見直します。時が経ち、だんだんと忘れられて行くあの震災。でも決して忘れてはならないと言う思いから、去年の記事とダブる内容になりますが(1月18日「上に物を置かない」参照)また今年もこの記事を書きます。




震災でお義母さん(以下Gちゃん)の家は全壊しました。popさんはちょうどフランスへと旅立つ直前で、東京から帰省中でのことでした。
運悪くpopさんもGちゃんも、バレエをやっているおばちゃんも大流行していたインフルエンザにかかり38℃の熱で寝込んでいました。そしてその時はやって来ました。夜も明けぬ朝方、突然真下から“ドンッ”と突き上げるような衝撃が走り、一瞬popさんも布団から体が浮き上がったそうです。そして次の瞬間にはタンスがGちゃんの上に倒れ掛かっていたのだそうです!幸い大して重くないタンスだった為、popさんがタンスを押し退けるとGちゃんは何とか無事に起き上がりました。しかし家は滅茶苦茶。二人で玄関を開けようとするけれど、ひしゃげてしまっていて開かない。外ではすぐ近くに住んでいたおばちゃんが心配して叫んでいます。185cm怪力popさんが、ありったけの力を振り絞って玄関を蹴り壊して外へ脱出しました。




そこには見慣れた街並みは欠片も無く、まさに地獄絵図さながらの恐ろしい光景が広がっていました。多くの家はぺしゃんこになり、道路には深い亀裂が入り、向こうに見えるはずの高速道路は落ちて無くなっていました。寒空の中、一瞬にして家を失った人々が立ち尽くしていました。



取り敢えずpopさんもGちゃんもおばちゃんもおばちゃんと一緒に住む歌姫Fちゃんも全員ケガも無く無事と確認してから直ぐにpopさんは水を買いに走りました。Gちゃんは自分の日本料理の店を見に行きました。
不思議なことに、Gちゃんの家は全壊したのに歩いて20分ほど先のお店は茶碗が数枚割れていただけだったそうです。バレエのおばちゃんもアパート住まいでしたが、冷蔵庫が襲いかかって来たので思い切り蹴っ飛ばした以外は何も無かったそうです。




しかしGちゃんの町内では何軒もの家が全壊し、何人もの方が亡くなったのだそうです。一本通りが違うだけで被害状況は随分と違っていたそうです。もちろん水、ガス、電気、電話、交通もほぼ完全にストップ。家とライフラインを失った人々が町内で身を寄せ合って、お店をしていたGちゃんがあらゆる工夫をしてみんなに炊き出しをしていたとか。
給水車もなかなか来れず、買いだめした水もとても役立ったそう。あまりのショックで、popさん達3人のインフルエンザも吹っ飛んでしまったと言うから凄いものです。



その後、Gちゃんとおばちゃんと歌姫Fちゃんは、震災後に建てられた耐震マンションに移り住みました。popさんは地震の無い国フランスへと旅立ちました。神戸の街は傷痕を探すのが難しいほど美しく復興しました。
しかし、震災を経験した彼らには一生拭えない傷が残りました。家を失い、友を失い、愛する家族やペットを失った人はなおさらです。



彼らは、心に残った傷を私たちに教訓と言う形に変えて伝えてくれます。
日本に帰って来てからのpopさんの口癖は“そう言う高い所に重い物を置かないの”!まずおばちゃんによってピアノ部屋に取り付けられていた古いシャンデリアが取り外され、popさんによってドッシリと趣ある掛け時計は取り外されました!“えぇ~、素敵なのに~”と言う私に二人は“chat-vertの頭の上に落ちたらどうするんや~”と(^_^;)
そしてタンスや棚は壁や床にガードがされています。Gちゃんは何かにつけて、“お風呂のお湯は捨てんで溜めときぃ。やかんや鍋に水を汲んでおきぃ。”と言います。調理が終わると直ぐにガスの元栓を締めます。14年前の震災によって彼らに当たり前のように身に付いた習慣を私も受け継ぎたい、そう思います。

6千数百人の亡くなられた方々、そして大混乱の中でニュースになることも話題に上ることもなく亡くなったであろう多くのペット達の命に合掌します。