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うちの庭から見た昨日の夕焼けです。暑い1日でしたが、キラキラとした夕焼けと、サーモンピンクに染まった雲が綺麗です。




さて、7月14日はフランスではパリ祭、革命記念日。“パリ祭”と言う呼び方は日本だけのもので、フランスではただ単に(quatorze juillet)7月14日と言います。この日は日中はシャンゼリゼ通りで軍事パレードや航空ショー、夜はエッフェル塔近くで花火大会が催され町中がお祭りムードに沸きます。



しかし、私にとっては大切なピアノの恩師を二人、この時期に亡くしている寂しい思いがあります。私の思い出話にしばしお付き合い下さいませ。少々長い文、ごく個人的な思い出話なのでスルーなさっても結構です。




1人は安川加寿子先生。私が高校時代にフランス音楽への憧れを強く抱き、フランス留学へのきっかけにもなった先生です。先生にお世話になったのはほんの数回だったのですが、レッスンして頂いたラヴェルの曲でフランス音楽をテーマにしたコンクールの全国大会で選ばれて、受賞者コンサートに出演する事が出来ました。それをご報告すると、こちらがびっくりしてしまうほど喜んで下さったのが嬉しかった。




先生は日本の音楽界では、もはや伝説のような存在だったぐらい凄い方でした。戦争を機に日本に戻られましたが、2歳からずっとパリで教育を受け、日本語の方が苦労したような方。戦後のクラシック音楽界は旧姓草間加寿子に驚嘆しました。その日比谷公開堂でのデビューは、余りにもそれまでの日本のピアノのレベルとかけ離れていて、衝撃的だったようです。




しかし、間もなく重度のリウマチを患い、思うように指が動かなくなってしまい、演奏活動はごく少ないものでした。その分、教育には非常に熱心で数多くの日本を代表するピアニストを育てました。先生の音楽への熱い思い入れの伝わる、オーラに溢れたレッスンは、不自由な体を一心に支えて歌い、少々怖いぐらいで鳥肌が立ちました。




コンクール受賞のご報告から4ヶ月後、パリ祭の2日前の7月12日に先生は逝ってしまわれました。光が消えたような気持ちになったのをハッキリと覚えています。




そしてもう1人。竹島悠紀子先生。だいぶ昔ですが、前述の安川先生の“ピアノのおけいこ”と言う教育テレビの番組のアシスタントをなさっていたのでご記憶の方もいらっしゃるかもしれません。
この先生には中学時代からフランス留学まで、時に親子のように、時に友達のように接して頂き、大の仲良しの先生でした。先生とはあちこちのコンサートや音楽祭、公開レッスン等、いろんな所にご一緒して頂き、共に笑い転げたり、音楽について語り合ったり。本当に大好きな先生でした。フランス留学してからも、手紙のやり取り、一時帰国をすると必ずデートしたものです。




先生はかつてフランスに留学された方で、ピアノやソルフェージュだけでなく、フランスの魅力をたくさん私達生徒に教えて下さいました。明るく、純粋な少女のようだった、優しくお洒落な先生。もし先生との出会いが無かったら、私がフランスへ留学する事は無かったかもしれません。



先生との別れは余りに突然でした。それもやはり、私がパリの音楽院の大学院に当たる卒業試験兼、フランス演奏家資格取得の試験で一等賞を頂いたとご報告した3ヶ月後。出来の悪い生徒の朗報に、これで安心と思われたのでしょうか。。。




先生がご家族揃ってヨーロッパを旅行なさった帰りの飛行機でのこと。ロシア上空で先生は逝ってしまわれました。本当に突然の事でした。まだ50代前半と言う若さ。全く予想もしていませんでした。パリ祭の前日7月13日の事でした。




ハバロフスクで緊急着陸した時には先生の心臓は止まっていました。パリでは短い日程でいらしたのでお会い出来ず、1週間ほど後に私が夏休みで日本に帰る事になっていたので、その時に“渋谷の美味しいレストランに連れて行ってあげるわ!”と約束していたのに。。。その約束をした電話が先生との最後でした。亡くなるほんの数日前でした。




母から訃報の電話が来た時には、何の事だか理解出来ませんでした。元気満々で、ダイエットに励みながらも食べる事が大好きで、若くて綺麗で明るい竹島先生が死んだって~!しかもパリからの帰りの飛行機内で!ハハハ、ご冗談を!って言う感じで。




先生のお葬式は、先生が希望なさっていたフォーレのレクイエムが流れました。それもレッスンで先生が“ねぇねぇ、もし自分が死んだら誰のレクイエムがいい~?”とみんなに聞いていたのを思い出し、たまらない気持ちでした。みんながモーツァルトかブラームスのレクイエムと答えると“フォーレのレクイエム、知らないんでしょ~。素敵よ!”と仰っていた先生。キリスト教式で行われたお葬式では、教えていた芸高、芸大生達のすすり泣きの声が響き渡っていました。人望の厚かった先生を慕う生徒は数え切れないほどいっぱい居ました。旦那さんのお仕事の関係で、時の首相小泉首相や政府の要人達が最前列にずらりと来ていました。幼い頃から裕福で権力に囲まれて来た先生でしたが、権力を嫌っていらした先生。直接知りもしない閣僚達がSP付きで最前列、可愛い生徒や音楽仲間、同僚達が後ろに追いやられたのが最後の心残りだったかもしれません。



その後、何年間も毎週毎週通った先生の居ない先生のお宅にも行き、先生のお嬢さんに、最後の家族での旅行となったお写真や、形見の楽譜達などを見せて頂きました。でも、今でも先生が亡くなったと言う実感が沸きません。




お二人の先生とも、生涯に渡ってフランスを深く愛し、そしてパリ祭に合わせるかのように旅立たれました。先生達に恥じないピアノを、私も弾いていかねばなりません。長々とご拝読ありがとうございました。