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昨日、1月17日は1995年、阪神大震災の起こった日。あれから13年が経ちました。当時、高校生だった私は登校前にうちで見ていた朝のニュースでこの地震を知りました。私は関東に住んでいたのですが、関西に住む親戚を心配した母が電話するも回線がいっぱいで全く繋がらず、結局他の親戚を通じて翌日に何の被害も無く無事とわかりホッとしたものでした。




私の彼、popは当時東京に住んでいてフランスへ行く準備をしていたのですが、popのお母さんとおばさんが神戸近くに住んでおり、丁度あの震災の時はそこに居合わせたそうです。




大学を卒業して東京で仕事をしていたpopは、ズレ込んだお正月休みを利用してお母さんの家に滞在していました。 しかし冬の季節、お母さん、おばさん、popの全員がインフルエンザに罹りそれぞれ38℃からの熱でダウン。東京へ帰る予定の1月16日になってもダメダメ状態で、インフルエンザ患者で溢れる病院に行って薬を貰う始末。その頃、地域ではひどくインフルエンザが流行していたそうです。




東京からオートバイで来ていたpopは17日には何とか帰らねばと、高速道路の空いている夜中に出る予定で夜早い時間に就寝。 しかしやはりインフルエンザと薬の影響も手伝って、ついつい寝過ごしてしまい…




1月17日朝5時47分。ドーンと言う音と共に下から突き上げられ数十cm空中に飛び上がり、横で寝ていたお母さんにはタンスが倒れかかって下敷きに!立ち上がるどころか動く事すら出来ない様な激しい揺れ。




やっと揺れが修まりお母さんを助けようとpopがタンスをよけると、お母さんはちゃんと自分で起き上がりました。しかし家は目茶苦茶で玄関もどの窓も原形をとどめず開ける事が出来ません。




popとお母さんで必死に玄関を蹴っ飛ばして壊しようやく外へ。幸いおばさんにも怪我は無く、なかなか出て来ないpopとお母さんを外で心配していたそうです。




しかしやっとの思いで出た外はまさしく地獄絵図。住宅街は一瞬にしてバラバラに崩れ去り道には寒空の中、立ち尽くす人々。



皆の無事を確認し、兎も角popは近所中の大丈夫だったコンビニや自動販売機で水をいっぱい買いまくったそうです。その時見た、高速道路がゴボッと下に落ちていた絵は衝撃だったそう。



ついでに町の公衆電話から当時付き合っていた東京の彼女の実家に電話をかけると、(地震直後だったのでその時は通じたそうですが、その後は全く通じなくなったそうです)朝6時と言う冬の早朝ですから、寝ぼけて迷惑そうな声で彼女のお母さんが出て、換わった彼女もpopの余りに大袈裟な話に朝から何を…と言うピンと来ていない対応だったそう(ToT)兎も角、みんな無事は無事だけどとんでもない状況だから、いつ東京に戻れるかわからないから!と伝えて電話を切ったとか。
その後のニュースでだんだんと事情がわかった彼女は驚いて電話したそうですが、勿論通じず。




やはり水道管やガス管は破裂したりで殆どの家で使えず、給水車もなかなか来れない状況の中、水は非常に役立ったそうです。
目茶苦茶になったけどpopのお母さんの家はガスはどうにか大丈夫で、ガス漏れの心配をしつつも、暫くは近所の人達が集まりお母さんが炊き出しをしていたそうです。




popもお母さんもおばさんも、地震の余りのショックでインフルエンザなんて嘘の様に吹き飛んだと言うから凄い!




でも不思議な事に、家からすぐ側のお母さんの切り盛りする料理屋はお皿が数枚落ちて割れていただけ! それなのに、一本向こうの通りでは何人もの方が亡くなったそうです。余りに被害が大きかったため話題にはならないけれど、人間がこれだけ亡くなったのだからきっと可愛いペット達も犠牲になったんだろうな、と思うと力無い者だけに心が痛みます。きっと飼い主から愛されていたでしょうに…




今は神戸の街は驚くほどきれいに復興し、地震の傷跡など感じる事も無い美しさです。
popのお母さんもおばさんも震災後に建てられた新しいマンションに引っ越して暮らしています。




しかし一度あの様な地震を経験した彼ら。
宮崎のこの私達の家でもその経験は生かされます。



まず、私のピアノの置いてある部屋についていたシャンデリアがおばさんによって取り外されました。popの亡くなったおばあちゃんが好きでつけたのですが、“もう古いし、もしもこんな重いガラスの物が落ちて来たらchat-vertは勿論、大切なピアノだってタダでは済まないからね。”と言う事で取り外し(^_^;)



それに家具類の殆どには、壁との打ち付け等の転倒防止策が何らかの形でされています。



popも、“そんな高い所に、そう言う重たい物を置かないの!”が口癖(^。^;)重たい掛け時計も外されました。

さすがにパリに居る時には地震なんて絶対に起こらない所ですからそんな事は言いませんでしたが。パリのあの町並みが保たれているのも地震が無いからこそ!歴史ある建造物も、古めかしい(と言うかかなりボロボロな物もあります(^_^;))石造りのアパルトマンも絶対耐震性はありませんし(^。^;)




popのお母さんは何かにつけて水はやかんに汲んでおけ、お風呂場の浴槽の水は捨てずに貯めて置け、と言います。料理の後は必ずガスの元栓を閉めています。




そして被災地神戸では…
いろいろな教訓や人々の思いの詰まった神戸ルミナリエが、今日も華やかに温かく神戸の街を照らしています。