世界が変わっても意識が変わらないと現実は変化しない | 狭間和恵の人生を創造する数秘とコンサル【野生児的人生の歩き方】東京・品川

すっかり桜も満開桜

サクラサク

 

 

 

どこのSNSを見ても、桜さくらサクラです。
 

色んなことはあるけれど、どんなに沈んでいても落ち込んでいてもクサクサしていても、満開の桜を見ると、否応なく元気になってくる。

自然の圧倒的な力、っていうのかね。

何があっても何がなくても、毎年必ず花を咲かせる生命力。

自然の摂理。

 

 

なんか、かなわないなぁとおもう。

 

 

このところふと思うのだけど

子供の頃って、知らない世界や初めての世界が当たり前で、なんていうか、瞬間瞬間をあたらに吸収する力がすごかったんじゃないかって思うのです。

全部初体験、っていうか。

 

ある程度大人になって、何となく一巡した後って、「一周回って繰り返し」かのごとく応用編に入るというか、そんな気になってて、さ。

 

 

「前よりも上手く出来る」期

 

 

っていう感じ。

2期目の役員が手際よく出来る、みたいな感じ。

 

 

でもさ。

それを繰り返してきて、どこかで実は違うサイクルに入ってるのに、3巡目、4巡目、5巡目のつもりでいるとかあるんじゃないのかな、と思うのね。

もう屋根はないのに、同じ高さまでしか飛ばないノミの話、あれなんて言うんだっけ?

 

あんな感じ。

飛ぶってこういう事でしょ?っていうのが沁みついてて、それ以上飛べる発想も湧かなくなってるし、それより高い世界の概念もない、っていうか。

 

 

前に書いたこの記事で言ってるのもそう言うことなんだけど。

 

例外なくみんな同じで、普通に同じ世界があるのだけど、ずっとプールだけにいる人とか家の中だけの人、庭だけの人、お店だけの人、っていう風に、隣の敷地に行ける概念もない感じ。

例え行ってても、庭から家の中に移動してきたのに、家の中で庭の生き方で生きてる感じ。

場が変わってるのに、意識と行動は変わらない。

 

 

そして、これって大人だけなんじゃないのかな?

子どもは、世界に限定も無いし、サイズもない。

ただ現実があるだけで。

 

 

経験という宝物が、意識によっては世界を決める。

「庭」という世界。「家の中」という世界。

 

 

なんかね、2年前に違うところへ来た気がするのです。

それより前にもあったのだろうけど、自分じゃわかんなかった。

 

そして、違うところに来たんだなってわかったんだけど、そこでの生き方がわからないのね。

だからこれまでの方法が自然と再現されるわけ。

でも、もう庭にはいなくて家の中だから、同じじゃなんだかしっくりこない。

じゃ、家の中ってどうやって過ごすんだ??っていうのは、どうやって認識するのかな?って思ったのだけど、なんかわかったんだ。

 

 

子どもにかえったらいいんだよ、きっと。

 

 

子供の頃は、それが普通だったんだ。

世界に広さは無かった。

それは宇宙に果てがない、っていうのと同じだ。たぶん。

 

 

あの頃の感覚と意識を、ただ取り戻したらいいんだ。

具体的にはどんな事か、って、箇条書きでなんて書けないけどさ(笑)

それが出来たら講座になるな、きっと・・・・・。

 

何かに気が付きそうで気が付かない。

背中合わせでそこにある、その感じは何だろうか。

そんなことをふとした拍子に感じる日々。

今そんな感じです。

 

こんな話を延々としていい会がやりたいわ(笑)

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