6年前のちょうど今頃、天草の1番奥の街「牛深」という所にいました。
2歳の娘と2人で。
映画の仕事で3か月半。
現地の方の、空いていたお家をお借りして、久しぶりに戻った映画の仕事で。
ここに来て、その天草の話が聞きたいと友人が声をかけてくれました。
私の両親は長崎の人でね。
結婚して関東に出て来たので、それまでのルーツはきっと長いこと九州だったはず。
だからなのか何なのか、私は若い頃から九州や沖縄には縁があった。
数年前には、ある人に守護霊を見てもらった際、過去生でキリシタンだったらしく、その時に伝道師を庇ってなくなったようで、その伝道師の方が恩義から付いてくれていると言われていたり。
また、ある時とても唐突に、「私は大平洋戦争を経験している」と思った事があります。
聞いたわけでもなければ、思ったのとも感じたのとも違う感じ。
1番近いのは「知ってる」という感覚ですかね。
思い出す、と言うのに近いのかもしれない。
でも、忘れてた事を思い出して、うわー!!っとなる、とかもなくてね(笑)
ただ淡々と、そう。あの頃を私は生きていた。って、そう思ったのです。
こちらについては、語り出すと長くなるので今はやめておきます(笑)
この時代にも、九州沖縄は多分身近だったんだと思う。
映画時代には、沖縄に仕事で何度も行きました。
そしてテレビの世界では、ドラマ制作は基本的に東京の会社が作って、全国に出しているのだけど、数少ない地方局が制作の2時間ドラマに携わり、それがご縁で何度も仕事をもらったっけ。
福岡のFBSと言う日テレの局です。
その会社の仕事で、初めて天草を訪れました。
もう16.7年くらいになるだろうか。
ドラマの中心になる街を探している中で、たまたま行ってみようと向かった先が天草でした。
半島は大きいので、なるべく手前に気にいる街があるといいな、と進むものの、ピンと来る所がなくて、行き着いたのはほぼ半島の終点である崎津の街。
上の写真は、その崎津にある天主堂です。
6年前、再び天草に行くことになったのは、あの時一緒に仕事をしていた先輩が監督する映画だったのだけど、それが崎津のすぐ隣の街が舞台だったのです。
先輩も、同じ天草だとは思っていたけど、まさかそのすぐ隣町で自分の作品を撮ることになるとは思ってなかったようでした。
後から聞けば、FBSの仕事の時に、花を買いに行った街が牛深だったらしい(笑)
この天草滞在の時の事は、このブログにも生活日記として書いてあります。
そんな何だかんだでね。
私にとって、なんだか不思議な糸で繋がっているのです。
九州、沖縄、天草、キリシタン、天主堂、過去生、伝道師、戦争、特攻基地、名護の海、ミッドウェイ海etc...
そしてここに来て、去年辺りから気になっているのが糸島。




