このところ、出会う人の種類が変化してきています。
なんか、状況が変わるたびに思うけども、今までがあって今だなぁと。
つくづく。
仕事もそうだ。
お金の勉強して(サラ金)→営業・サラリーマンして(一般社会・コミュニケーション)→映画制作して(予算管理・現場交渉・地域の協力)。
そこで身に付いたり捨ててきたりしたものが、おだやか~な心境を運び、結婚・妊娠・出産・育児、と繋がっています。
そして、今次なるお部屋入りへの準備中。
スピード感の違いはあれど、何かが動く時はいつもグラデーションを描くようです。
鉈で切ったように、ばっさり別世界に行くんでは無く、今までの赤がオレンジ、みかん色、黄色と変化していくような。
赤から緑には一気に飛びません。
こういう感覚的なことは自分の中ですごーくたくさんあって。
特に対人の場合には、考えてる事と言葉が一致してない話にはすごく敏感で、まぁよく嫌な顔されていました。
「ふーん、で、嫌だったって事?」とか言っちゃうとね。
会社なんて最悪で、もうみんな話してる事と思ってる事が違ってた。
ほんとーにめんどくさかった。
言ってる事より思ってる事が見えちゃうので、それを言うと、みんな、ほとんど嫌な顔された。
そんなこんなな世界で、一人が楽だなーと。
いつかそんな風に思うようになったのかもな。
高校生の時、すでに一人で学校さぼってボサーっとしてたっけ。
だいたい先生やバイト先の大人からは好かれなかったな。
かといって、攻撃もされない。
ただ、黙って私とあまりかかわりたくないと思ってる感じが伝わってきた。
一人が楽。
ずっとそう思ってました。
いや、そんな気分になっていた、と言う方が正しいかも。
映画を始めてから、同じセクションの仲間とあーだこーだ言いながら仕事を進める楽しさを知った。
ちょっと、社会のはみ出し者が集まりがちな世界だったし、会社にいた頃よりもそういう意味ではめんどくさくない人も結構多かった。
(私にとって、会社でうまくやれる、って感じの事の方がめんどくさい事だったのね)
でもね。
一部分ではそうであっても、自分をそのまま出してたかと言えばそうではなかったように思う。
あの世界で求められてる部分は大手を振って出していたけども、その他のところは自分の中に置いたまんまだった。
長い事かけて、自分でも意識すらしなくなっていたけども、
思ったり感じたりした事は話しても通じないし、ましてや相手が嫌な気分になったりする事が多い。
そんな風に思っていたかもしれないな。
十分にはみ出して生きてきたけども、それだけども、自分を周りに合わせて求めに応じて期待に答えて社会人をやってきたな、と思う。
もうね、抑えても抑えても漏れ出ちゃう物を止めきれなくなってね。
圧力鍋の圧抜く部分が何回閉じてもブシューーーー!っと蒸気噴いちゃうみたいに、抑えたまんまでそこ(社会)にいる事が苦痛で苦痛でしょうがなくなった。
そこから4年。
最近、自分が普通にそこにいて、自分の言葉でしゃべって、しゃべってさえいなくても、相手がおそらく全部そのまま受け取ってくれていて、私が感じてるであろうことを、書き変えず、そのまま感じてくれているであろうと思える時間があった。
すごくリラックスしていたと思う。
なんていうか、さっきの圧力鍋のたとえで言うなら、蓋が全開で湯気がもうワンワン出ている解放感。
全く圧のかかっていない解放感があったよ。
その後、複数の女子とランチした時に同じ感覚があった。
もうね、なんて楽チンでお花畑状態なんだろうね!って感じだった。
(すでに何のことやらわからない人はいっぱいだよね~苦笑)
幸せになるために、みたいな話から何か抑圧や苦痛を強要したがる人もいるけども
そう言うの、聞き飽きた。
何かを我慢して何かを手に入れる。みたいなこと。
そんなことしなくたって、手に入るってもう知ってる。
もう20歳の小娘じゃない。
18歳で社会に出て、それなりにでこぼこやってきた。
(そう言えば余談だけども、カジノに行って大か小か、みたいな賭けの時に大ばっかり続いて、それに乗っかって勝てる私と、そんなに続くわけないとあっち行ったりこっち行ったりで負けちゃう人といたなぁ。)
何の話かと言うと、一匹狼だったわけじゃない。って事です。
「そこ」の世界観に染まらなければ生きにくいコミューンにいたので、一人が楽だと思っていたんだなぁと。
だって、仲間と何かを作りあげたり、ワイワイおしゃべりしたりするのは大好きだもん。
居る場所、少し違っていたのだなぁと。
つくづく思うのです。
いわゆる一般社会には全く適応できないと悟ったのは20代後半。
それからサラリーマン生活とは縁を切ったけども、なかなか生きにくい世の中でした(笑)
どこか、こんなもんなのだろうな、と思っていた節もある。
この間も友人と話してて思ったのだけど、自分と感覚が会う人は、少数なのだろうけどそこらへんに沢山いると思ってた。
でも、そうそういないんだな、と言う事も分かった。
私の場合、「理解されない」のが、一般で言うところの、一般なんだな、と思った。
そんな解放感に満ち溢れる時間を作ってくれたのは。。。。。。
つづく