我が家は近くに区立図書館があるのですが、蔵書のセンスがあまりなくて借りたいものが少ないです。取り寄せもめんどくさいので結局買ってしまいます。

ドシドシ買うので、本棚は常に溢れていて、定期的に思い切った断捨離が必要になります。おしり探偵シリーズ、絵本、ライトな物語は棚から消えました。

そろそろ伝記や女子向け小説なども居場所がなくなるかもしれません。

 

娘が絶対に残したい本1位が「モモ」ミヒャエル・エンデ著。

「すごく面白いから何回も読むんだ!ニコニコ

お気に入りです。

 

モモは大きくなって読んでも面白いんだよ、という話をしました。

 

何が面白いのか?そのポイントについて少し解説をしました。

・子供にとっては楽しいファンタジー物語だから。

・「時間」に追われてあくせく働かないと生きていけない今の経済社会を風刺していることがわかるから。生きることの意味ってなんだろう、と考えさせられる。

「時間」という概念は人間だけのもの(*動物の時間の概念把握についてはよくわかりません)

脳が正常に機能しているから過去や未来とか、時間の前後関係を正しく位置付けて記憶することができる。時間の流れを早く感じたり、ゆっくり流れると感じられるのもそう。年をとってアルツハイマーなどでボケてしまうと、時間の概念がおかしくなってしまう。

この辺りのことは認知心理学とか脳の仕組みのことを勉強すればわかると思うが、時間を認識できること、時間を大切にしようと思うこと、自分が生きていない過去や未来のことを想像できること、つまり、人間らしく生きるってなんだろう、という哲学について問いかけられるような内容になっているから。

だから、科学とか心理学とか経済とか、いろいろなことを勉強していくと違う読み方ができるようになるよ、という話をしました。

 

 

この話の流れで、哲学について語りました。

「人間とは」「生きているとは」「命とは」について話が発展していきます。

 

「たとえば、パパの手足が事故でなくなってパラリンピックに出ているような人になっても、パパだよね?じゃあ、内臓は豚の内臓が移植されて置き換わったり、人工の心臓になったりしてもそれはパパといえるか?」

--- えーそれはパパ

 

「さらに、火傷などで顔の皮膚がダメになって、顔がほとんど別のものに変わったら?」

--- ショボーンそれもパパかな・・

 

「もともとあった体のうち、ちゃんと使えるものは脳だけになってしまって、脳だけをロボットみたいな器に入れることになったら、それはパパか?見た目は全然別物だけど、記憶はちゃんとある。」

--- ショボーンガーン パパ・・かな・・?

 

「脳が腐りかかってしまってダメになりそうになったから、記憶とか中身だけをコンピュータみたいなものにクローンした。これはパパかな?」

--ガーンえーん それはわかんない。パパじゃない?

 

「じゃあ、どこまでの状態を人として生きているというの?どこから死んでいるというの?」

ガーンえー・・・

 

 

「こういう話ってまだ答えがないんだよ。

たとえば、パパの脳が移植されたロボットが車にはねられて壊れたら、それは殺人なの?脳がコピーされたコンピュータが壊れたら殺人なの?

少なくとも、今の法律もそういうことはきちんと想定していない。」

 

「こういう問題について考えることが哲学、宗教もヒントをくれるかもしれない。

科学とか技術がどんどん発展した時に、それだけだと答えが出ない。

でも、考えて何か答えを出さないといけない。」

 

 

「嘘みたいな話だけど、こういう世界になった時のことを手塚治虫が『火の鳥』に書いていたと思うから、今度それを読んでみよう。」

# ロビタが出てくる話ですが、復活編だったかな・・。

 

 

こうして、「火の鳥」に話はつながり (また本が増える)、

心理学や哲学、脳、ロボットへの布石を軽くうちました。

 

こういった分野に興味が広がるかどうかはわかりませんが、単に知識が広がる・深まるよりも、心を揺さぶる大きな問いを持つことが大事ですね。そこから全てが始まる。

 

 

今回のテーマ、"命" と "命でないもの"の境界を考えた時に、

「生物と無生物のあいだに」という本のタイトルを思い出したわけですが、

それについてもわかりやすく話がつながったらいいなと思いました。

 

 

そこで福岡伸一さんの本を手に取ることになるのですが、

続きます。