台湾の震災における行政の対応の速さや避難所の状況などを見て、能登地震の行政対応がいかに異常なのか知った人達も多いかもしれない。

発災から3か月以上経っても避難所は雑魚寝で食糧やトイレもままならずガレキの撤去も進まない。それが我が衰退国家の悲惨な現状であるが、このことに心痛まない人はいないだろう。

しかし財務省は事実上の「棄民宣言」をし、似非ウヨは相変わらずボランティア批判を続ける。あまりにディストピア過ぎて夢でも見ているのかと嘆きたくなる。

▼能登地震の復興「需要減少や維持コストも念頭」 財政審分科会
https://mainichi.jp/articles/20240409/k00/00m/040/101000c

▼能登の災害ボランティアが足りない 志願者のやる気をくじいた要因の数々 被災地入り「自粛論」の的外れ
https://www.tokyo-np.co.jp/article/314568

日本政府がコスパ重視のため過疎地能登を見捨てる方針だということはわかったし、ボランティアが足りないのは似非ウヨの「ボラ叩き」が主因であることもわかった。

しかし、なぜ被災者は「支援・物資が足りない」と市町村の役場に要望を上げているはずなのに県や国にその要望が届かないのか、発災から現在に至るまでのあいだに行政はもっとまともな対応ができなかったのかとの疑問が湧く。

種々の細かい事情はあるのだろうけど、私は原因の一つを行政の「自己保身」と「やってる感の演出」の成れの果てだと言いたい。

この件に関して、れいわ新選組みの山本太郎氏がかゆいところに手が届くような国会質問をしていた。


上記質疑でもあったように、国は「石川県とも連携して丁寧にニーズをくみ取りながら対応したい」と言うが、あくまで情報が上がってくるのを待っているだけで、先回りしてプッシュ型の支援をしていないのだ。
そして住民の声は自治体の首長に届いておらず、声が届いていないため国は「要望がない」と判断し支援をしていないことも浮き彫りになった。

また、山本が被災視察した際に市役所で職員から聞き取り調査していると、呼んでもいないのに市長が現れて「政府はよくやってくれている。国に十分に支援してもらっている」と、たずねてもいないことをペラペラと話したとのことだ。
山本が被災調査の実情を話し「足りない支援を国に要請すしたい」と言うと、話をさえぎってまで市長は「足りている」と押し通したようだ。
おそらく自民党系の市長だろう。
山本は「国からどう見られているかを気にし過ぎて他が見えなくなる政治家もいる」と付言した。

自民党系の地方行政長(馳なんかはその代表格だろう)は、何か足らざる部分があっても「やってるやってる、支援は届いてる」と自らの失策を覆い隠すようなプロパガンダに徹してしまって、外部に実態を把握させない。
関係者は、苦しんでいる被災者が大勢いることを知りながらも自己保身のために事態を過小評価して上に報告してしまう。

足らざる部分を知り、支援で埋めていくのが政治の役割であるが、それを放棄してしまっているのだ。


次に能登の状況を知らせるXポストを紹介したいが、この手のジャーナリストや被災者らの報告にも大量の似非ウヨが湧いてクソリプを連ねている。
これが日本人の心根なのかと思うと本当に情けなくなる。


あまりに情けなくて脱力する。

「関係者が自己保身のために事態を過小評価して上層に報告し、やってる感の演出にのみ注力する」という現象は、日本の行政のそこかしこで見かける。

よく「なぜ財務省は国民経済や財政を余計に悪くするとわかっていながら緊縮財政を続けるのか」という問いに、「アーレントの凡庸な悪」論を持ち出す場面に遭遇する。
この場合の「凡庸な悪」論を唱えているのは主に京大の藤井聡教授(

 

ナチスドイツの官僚であったアイヒマンは、ユダヤ人をポーランドの強制収容所に送る仕事に従事する大量殺戮に加担していたが、アーレントは彼を「小役人による凡庸な悪であり、誰もがアイヒマンのようになりうる」と説明した。


私は、捏造や改ざんまで行う日本の役人や官僚らはもっと「前のめり」であると感じる。
彼らの脳内にある行動規範はまさに封建主義制度になっており、これはいわば「明治しぐさ」に近いものだと考えられうる。
「明治しぐさ」は、似非ウヨらのクソリプにも見ることができる。
彼らは「正義は勝つ/勝った者こそが正義」として、自民党政府という「勝った者・強者」こそを正義とし、絶対的な忠誠を誓っている。
(丸山眞男「超国家主義の論理と心理」参照 https://hama-sush-jp.pro/cargoofficial/entry-12763032481.html

野良の似非ウヨや似非ウヨ首長らは、自らがかしづく「強者」の瑕疵を認めるわけにはいかないためあらゆる詭弁を弄してどこまでも擁護する。
彼らは、「強者」の及ぼす封建制度的ヒエラルキーに連なる自分も権威的存在と同質化させているため、また上意下達の勅令の及ぶ範囲に反するわけにはいかないため、自らの失態だと評価されかねない追加の支援要請を行わず、いかなる瑕疵も自己保身のために矮小化し誤魔化すのである。
そして、矮小化し誤魔化すために、捏造や改ざんという「前のめり」な手口に興じるのだ。
 
悪に連なる凡庸な小役人ではなく、悪を構成する積極的な工作員と化しているのだと言える。

次回記事では、官僚の「前のめりな悪」の例をもう2つ挙げてみようと思う。
この2例のほうが、能登震災に関わる件よりももっと悪質で「前のめり」な官僚の姿勢を露わにしている。

本日はここまで。

cargo
 
 

 

 

http://www.highschooltimes.jp/news/cat24/000089.html


「悪の凡庸さ」について 参考:
エルサレムのアイヒマン――悪の陳腐さについての報告【新版】
ハンナ・アーレント (著),
https://amzn.to/4aUyHiA

百木獏・立命館大准教授 「労働者アイヒマン」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/soes/40/0/40_68/_pdf/-char/ja