水崎林太郎(1868年 - 1939年) 岐阜県出身
岐阜県加納町(現在の岐阜市)の町長を歴任した後、
1915年に開拓農民として日本から大邱に渡り、
干ばつや洪水に苦しむ農民の姿を見て、治水事業に取り組むことを決意。
朝鮮総督府に直談判したが、最初は断られた。
朝鮮総督府に直談判したが、最初は断られた。
しかし、彼は朝鮮の農民の生活のよくする為に、粘り強く説き伏せ、
10年もの歳月と多大な苦難を乗り越えて、寿城貯水池を完成させた。
約12000円(現在の金額にしたら10億円くらい)を総督府から出させ、
残りは私財を投げてまで工事を敢行させた。
また、水崎自ら、スコップを手に持ち、工事の荷担していた。
彼が作り上げた貯水池は壽城池(수성못)と呼ばれ、
当時は農業用池
この池のおかげで、大邱は干ばつや洪水から免れた。
現在は大規模なレジャー地になっている。
水崎林太郎の墓は、遺言により、壽城池のそばにある。
命日の4月13日には、毎年、大きな行事が行われている。
1939年に水崎がこの世を去る時に、
「このスソン池が見れる丘に朝鮮式の墓で眠りたい。」
この遺言から、現地の人が最近まで墓守りを続けてきた。
この墓を守ってきた徐彰教さんが最近亡くなった。
この墓を守ってきた徐彰教さんが最近亡くなった。
「自分の骨の半分を水崎先生の墓に巻いてほしい。
そうしたら、死んでも水崎先生のお墓を守れるから・・・」と。



