さて、ここで一番問題になるのは、金忠善になった「沙也可」が一体誰なのか
日本の記録には、こういう人物はいない。
朝鮮に帰化したなんていう侍も、「さやか」なんて名前の侍も、もちろんいない。

そこで、いくつかの仮説をあげてみる。
 
 
 
 
    加藤清正の部下であり、文禄・慶長の役で出兵
    蔚山城の戦い以降、消えた。戦死したと言う説があった。
    豊臣秀吉によって没落させられた家系
                            
    などのことから、この原田信種沙也可ではないかとも言われている。
    だけど、後に、消えたというのはまちがいで、帰国したらしいことがわかった。
 
 
 
岡本越後 (別名;阿蘇宮越後守)
    加藤清正の部下であり、文禄・慶長の役で出兵
    蔚山城の戦い、順天城の戦いで、朝鮮側と交渉役を務める。
    豊臣秀吉から弾圧された
 
 
 
この二人は、加藤清正の部下だったということと、文禄・慶長の役で出兵したこと、
豊臣秀吉に怨みを持ってる可能性があることから、沙也可ではないかと思われた。
しかし、「沙也可」という名前がなぜついたかがわからない。
それに、加藤清正の部隊1万人の下で、3千人もの大部隊を引き連れた者はいない
 
 
 
 
雑賀衆(さいがしゅう)  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%91%E8%B3%80%E8%A1%86
    紀伊の国あたり(今の和歌山県)に拠点を持つ、一揆集団
    戦国武将を脅えさせた、鉄砲で武装した集団
    代表的な人物が鈴木孫市で、幼少時の名前は善之雑賀孫市と言われる
      (金忠善は別名;字;善之となっていて、「善之」が一致する)
    「さいが」が「さやか」と発音が似ていて、鉄砲の達人という共通点がある。
 
    名前、鉄砲の名人ということからすると、雑賀孫市が一番可能性が高いが、
    雑賀衆は豊臣をも脅かした一揆集団。加藤清正の部下になるはずがない。
    秀吉が朝鮮に出兵させたかどうかもよくわかっていない。
 
 
ということで、ここで問題になるのが、「慕夏党文集」の信憑性ですが・・・・
                                               https://hama-sush-jp.pro/candy211jp/entry-12462583678.html
今となっては、どこまでが信用できる内容なのかも、わからないですね~
 
 
 
 
左衛門
     で、謎に包まれてよくわからないから、こういう説も出ている。
     「沙也可」というのは、特定の名前ではなく、武士の名前の「左衛門
     沙也可は、対馬辺りに住む「左衛門」という名の武士。
 
 
 
 
 
ま、沙也可が誰だったかなんて言うのは、今更わかりにくいでしょうが・・・・
 もっと問題はその先。
こういう降倭兵は、沙也可一人ではなく、かなりたくさんいたようです。
 
                                     - 次回に続く -

 

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