ショックです。今も泣いてます。

大学ではハンドボール部に所属していました。

僕はもともと球技が得意ではなかったのですが、先輩、後輩の活躍もあって、沖縄で開催された西日本医学体育祭なるものも参加させていただきました。(準優勝でした)

彼に、ここ十年間くらい会えなかったから、書かせてください。私の2年下の後輩です。

要領のいい、線の細い後輩で、ハンドボールの経験者ではなかったのですが、ムードメーカーでした。イケメンでしたよ。懐かしいなあ、エース級の同級生がいたのに、彼は彼の仕事をきっちりこなしてた。

私の家内(在学当時からの付き合いで、一応、部活に時々顔を出してました)も彼のことを覚えてました。

いいやつでした。ちゃらっぽかったくせに、他の同級生の中でも、先輩、後輩に一番気を使って接してくれました。

いいやつでした。 本当に。 医者になって、浜医の医局離れて、ハンドボール部のことを忘れてましたが、本日、僕の一番の親友からFB通して連絡があり、彼に対する懐かしさ以上に彼の死に驚き、力が抜けました。

あんなに濃厚な時間を費やした部活の後輩が、なぜ僕のようなおっさんよりも早く旅発つのかって考えると、あいつと過ごした普通の時間が思い出されて、泣けてきます。

きっと、誰もが思うんです。日本人は、なんだかんだでも、良くも悪くも、上下関係を大切にします。僕らのような大学の部活の付き合いは、本当にしんどい時間を共有していただけに、上下関係を大切にしつつも、自分の先輩後輩を、自分の兄弟のように可愛く思うんです。

難しい病気だったんだな。 僕が卒業してから、連絡とってなかったし、とりにくかったんだろうな。でも寂しいよ。阿多古川にみんなでバーベキューに行った時、おまえ、今の僕の奥さんに多分ちょっとだけ気を使ってくれてたよな。いつも飲み会でムードメーカーだったよな。

僕はね、おまえが苦しんだ病気の治療に、少なからず関与できた立場でした。当然助けられなかったかもしれない。でも、おまえがそんなに苦しんでたのなら、自分の立場を顧みず浜松に帰って、おまえのところに行ったと思う。なんとかしてやりたかったと思う。

医大は6年制。僕が3年の時の、おまえは1年生。寂しいよ。自分よりも若いおまえが、先に天国に行くのが。偶然、おまえの病気の治療をしてたんやんわ、でもまだ標準治療に出来てなくて、おまえに提案できなかったよな。ほんま、ごめんな、おれの力不足やわ。

ごめんな、今は仕事で、おまえのところに行けないけど、必ず時間作って挨拶に行くわ。

上級の先輩たちと飲んで、バーボンで二日酔いになったのはきつかったやろ?僕もおまえのことが忘れなれない。
練習で苦しかった期間も忘れなれない。
せめて、一緒に朝から晩まで汗を流した仲間のおまえが、ちゃんと天国に送り届けていただけるよう、祈ってるよ。

お疲れさまでした。だめな先輩でごめんな。 だめな先輩で力になれなくてごめんな。

また生まれ変わったら、練習前のキャッチボールやろうな。 また飲みにいこうな。

なあ、ほんま、さびしいわ・・・・   
あんなに笑ってたのに、おっさんより早く天国にいくなよな!



「がんカテーテル治療」



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