庭のバラもそろそろ終わりかな


  母の日


 息子から連絡はなく母の日は

 わたしが母を思う日とする

              俵万智



上の句はそれぞれさまざまな母の日だと思いますが、下の句 

  わたしが母を思う日とする

が好きです。


わたしには二人の母がいました。


産んでくれた母は身体が弱く、わたしが中学2年生のとき、肺の病気で亡くなりました。また33歳でした。

小学5年生になる春に入院したので、いっしょに暮らしたのは10年間だけです。


料理上手で、餃子を皮から作っていた姿を覚えています。


母はきっともっと生きたかったはず。

わたしももっといっしょにいたかった。





高校生になる頃、二人目の母が我が家に来てくれました。


3年間、きちんとお弁当を作ってくれ、わたしが拾ってきた猫も嫌がらずに飼ってくれました。7匹も。


きっと母親になろうと一生懸命だったのだと思います。


でも、思春期だったわたしはなるべく早く家を出ようと考えて関東の大学に進学し、そのままずっとこちらで暮らしました。


その母も21年前に亡くなりました。


いきなり思春期の子の母になるのはどんなに大変だったか、自分が大人になり母になってつくづく考えさせられました。


きちんとお礼を伝えられませんでしたが、わたしが就職し、結婚して母になったことをとても喜んでくれました。


娘たちに「おばあちゃん」と呼ばれて、うれしそうに笑っていた姿を思い出します。




母の日はわたしが母を思う日とする
     (俵万智さんの短歌から)

33年しか生きられなかった母に
難しい時期に懸命に向き合ってくれた母に

感謝しています。