📖 昨夜読み終えた1冊 📚
「両手にトカレフ」
「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の作者、ブレイディみかこさんが書いたフィクションです。
「ぼくはイエローで⋯」は、作者自身の息子さんのノートで見つけた言葉をタイトルにつけたノンフィクションでした。
息子さんの感覚や考え方がまっとうで、その息子さんを囲む両親の考え方も柔軟で、共感したり羨ましくなったり、何よりとても考えさせられる読書でした。
人種のるつぼと言われるイギリスですが、人種だけではなく貧富の格差、家族の形、LGBTQなど様々な課題が混在していて、それは子どもの社会でも同じ。
これがベスト、と言える答えは人それぞれで見つけるのは難しいけど、「誰かの靴を履いてみる」エンパシーを身につけることで、少しは良い方向へ進めるのではと思ったのですが⋯。
その読書から4年を経て手に取った
この本「両手にトカレフ」。
主人公はミア、14歳の少女です。
父親は家を出ていき、ドラッグに心身を蝕まれた母親、8歳の弟チャーリーとの3人暮らし。
今日食べるものもないほど貧しく、週に二日、社会福祉活動の一環として営まれているカフェで空腹を満たしていました。
物語はミアの言葉で語られる厳しい現実と、ミアが読み始めた日本人カネコフミコの自伝が交互に登場して進んでいきます。
読みながら、この物語が絶望で終わるはずがないと思いました。
自分以外の世界を信じていないように見えても、主人公のミアは弟を愛していて、どうしようもない母親の面倒も見ているし、友人たちのことを嫌っているわけでもありません。
「君がトカレフを持って闘うなら(例え話ですが)、ぼくが援護射撃をするから」
と言って、男女や貧富の違いにこだわらず対等に接してくれる友人もいるのですから、むしろ希望の感じられる物語だと言っていいかもしれません。
周りにいる大人たちも真剣にミアのことを考えています。友人の母親、ソーシャルワーカー。
時代や国が違うせいもあるけど、回顧録のフミコにはそんな人はいませんでした。
強くて身勝手な大人と、弱くて子どもを守ることもできない大人だけでした。
この自伝を、ミアが読むという形で登場させた意味は何か考えます。
ノンフィクションの形では書けなかったあの子たちを見えない存在にしていいのかというしこりがいつまでも心に残りました。
帯にある作者の言葉から
わたしたちの周りにはミアもフミコもたくさんいます。
貧困に苦しむ家庭、ヤングケアラーと呼ばれる子どもたち。
そして、手を差し伸べたくてもすべがわからない周りの大人たちもいます。その大人たちにも相談し語り合える仲間が必要なのかもしれません。
少し大きめの読みやすい文字は、同じくらいの年代の読者にも届けたいと思ったからですね。
知ること
考えること
そして行動すること


