明けましておめでとうございます。
 

昨年も、たくさんの出逢いと学びを頂いた年でした。
長年探して求めていた発酵に出会えたので、また発酵の事も書いていこうと思います。
関心を向けてくださる皆さまと共に、共有していきたいと思います。



今日も発酵ではありませんが、心に思うことを書いてみます。


昨年11月に奈良県の天河神社にて御神事をさせていただいた時、全体の流れを見て感じたのは

『復興』

でした。


天河神社でしたことは象徴に過ぎず、2018年以降、多分いろんな場所、分野で似たような事が起きていくような気がしています。


必要に応じてですが、元あったものを復興させる、整備する、といった感じです。
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神社に限らず、いろんな分野で、です。
私の話に神や神社の言葉が出てきますが、神とか神社を神話的な宗教のように見ているのではなく、私たちも含め森羅万象の中で構成されている一部として、どちらかというと自然として見ている感覚が強いかもしれません。


目に見えない存在、波動のようなものが確かにあり、私たちは見えないから信じられないけど、私たちの心、精神もまた目には見えません。


逆に言えば、目に見えない姿が私たちの現れではないかと思うこともあります。



天河神社で高倉山の神事をさせていただきましたが、11月に私たちだけがしたことではなく、2012年に禊殿での御霊鎮めの儀をされていたこと、2016年には28年ぶりに禊殿の塗替えをしてきれいにされていたこと、2016年の旧暦9/9の重陽の節句で古事記より引用した内容で、高倉山へ奉納された方がすでにいたことを知ると、流れの中の一つのような気がします。


他にもすでに天河神社には復興されていることがありました。

2011年、東日本大震災が起こりましたが、9月に天河神社一帯も浸水するという災害が起こり、その年12月に、天河神社にとって最後の復興した神事『浴酒供・宇賀神浴酒神事』が行われていました。
124年以来の復興でした。


明治に起こった神仏分離令や廃仏毀釈などで、バラバラにされたものをもう一度元に戻す、もともと神仏習合だったので、そこに戻す、私たちが出来ることはそのようなことではないかと思うのです。

なぜ戻すのか。

あまりにも人と自然が離れすぎているからかもしれません。
自然が少しでも調和、循環しなかったら、即、私たちに影響があるのに、私たちは普段守り育んでいるものに感謝を向けているだろうかと思うのです。

決して神事をすることが全てではないと思っています。

一人で詣り手を合わせること、その場に行かなくとも、意を向け感謝と祈りの気持ちだけでも同じと思ったりします。


どこの地域にも氏神さまがいて、その地と人々を護ってくださっていると思います。

盆踊りや祭りなど、ただ楽しむためではなく、本来は天と地を繋ぐこと、先祖と今の人を繋ぐこと、その地で住む人同士を繋ぐこと、または、産土の地から離れた人とも繋ぐこと、いわば『精神性』を繋いでいるのではないかなと思ったりします。


盆踊りの踊り方や回り方、本当はそれがそのまま神事の姿。
お供えやおさがり、直会(なおらい)といった、共に食すことも神事の在り方かと思います。

『供養』という漢字は、人が共に食すことで養う、亡くなった方だけではなく、生きている人も養っていくことだと、民俗情報工学研究の井戸理恵子さんから教えていただいたことが心に残ります。


2018年、人、自然界、失われた伝統や知恵などを復興させ、見えるものと見えないものを結び繋いでいく、それが統合し、開いていくことかなと思えたりしています。


また発酵のことも書いていこうと思います。

皆さまにとって道開きの年となりますように。