今年の年明けは帰省をしており、故郷の長良川を眺めていました。

 

この水で育ち、川の上流には、私が生まれた祖父母の家がありました。

夏には川で泳ぐことが好きで、もぐれば大きな鮎がたくさんいました。 

手で掴めそうなのですが、軽くかわされます。 

 

祖父母の家は自宅兼、美濃和紙を家業としていました。 

その地は美濃和紙の生産地で、豊かな水、清らかな水で和紙の材料となる楮(こうぞ)を 育て、水流で白くし漉いていたのでしょう。
周りにも携わる方が多く、近所を歩いていると手漉きをしている姿や音、天日干しの風景を見る事ができました。

 

祖父母の家は築130年ほど経っており、前から家の造りに少し不思議に思うことがありました。
お店だとしても、四方八方から人に見られるというか、水着などの着替えに隠れ場所がないのです。


そしてやたら土間が広い。途中で増築して台所があったのですが、それがなければ全部土間じゃないかと。

そして道路に面した場所に、人一人が座れるような帳簿部屋みたいなところがあり、祖父の商売で使っているようには思えないしと。


居間でご飯を食べていても、左側には縁側でバスを待つ人が座っていたり、背後からは人が訪ねてきて振り向かなきゃいけないし、右側の襖があけば用事を頼まれるしと賑やか(いい言葉で言えば)

昨年、母と「プライバシーがなかった家だよね、どこで寝て、どこで勉強していたの?」という思い出話から、祖父は3代目の住人で、1代目2代目は80年ほど味噌・醤油の販売するお店で、もともと住居としての造りではないことを知りました。

土間が広いのも、きっと味噌や醤油樽が置いてあったのでしょう。
家に入るといつも煮物の香りがしていたのですが、柱や壁などに味噌などの香りがついていたのでしょうね。
その香りが何とも落ち着くので、私はそこにいくと昼寝をするのが好きでした。


お風呂は最後まで薪風呂でした。

薪を燃やすだけでなく、紙屑や割り箸など生活のものまで燃やすのですが、時折、湯船にとうもろこしの芯が浮かび上がってくることがありました。


あの構造はどうなっているのでしょう?

釜であるはずなのに(・・?)


今思うと水も良かったし贅沢なお湯でしたが、当時は慣れていないため、あまり好きではありませんでした。

もっと味わえば良かったです。今ならわざわざそれだけに入りにいくのにね(^^)


 祖父母が亡くなると、主人をなくした家は見届けたように朽ちるところがでてきて、今はありません。

50年来、土間に巣を作っていたツバメも来なくなりました。



私の住んでいたところは木曽三川があり、木曽川・長良川・揖斐川と、常に川と水が身近にありました。

長良川が一番身近なものですが、その流域の中でも印象に残る場所が2つありました。


一つは円空仏を彫った円空の入滅場所。 


もう一つは、美濃市街近くの港町。

正確に言うと、そこからもう少し下った盆地のような広がる場所でした。


そこは時が止まったような、時代がそこだけ止まっているような感じがしていました。

いつも祖父母宅に行くのには車で通り過ぎるだけだったので、できればそこで佇んでみたいと思っていました。


近くの高校に通うと思っていたので、学校帰りに寄ろうと思っていたのですが、その時にはすでに病いの中にいたので叶うことはありませんでした。


昨年、第二次世界大戦中にリトアニアでナチス・ドイツから迫害されたユダヤ人に、日本通過ビザ「命のビザ」を出した外交官、杉原千畝さんの名前の由来を知りました。


今の美濃市で生まれ、千畝町という場所から眺めた景色が美しく、町名の名前から千畝と名付けられたとありました。


それを知った時、幼少の頃から思っていた感覚を思い出し、改めて見に行くことにしました。



名付けたご両親が感じたものを 


私もその地、その水で育ててもらったことを


河川の汚染が進まないことを


どうか清流であることを願うことを


何ができるか考えることを



そんなことを思いに、年明けはそこにいました。

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川の水、流れは、身体の中の血液、血流のように思っています。

綺麗な水、流れがあれば、汚染も浄化されていきます。
綺麗な血液、血流が滞りなく流れる状態になれば、細胞もよみがえり病いは治っていきます。


私が完治したのは、血液、血流を体内で促したことからです。

自然界で起こっていることも、人の身体で起こっていることも、よく似ています。
大地は腸、血液は水、河川。
自然・環境を見ると、いつもどこかで「大丈夫?大丈夫?」と思っている自分がいます。



一昨日、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」を観ていました。

物語に出てくる河の神は、人間が出したゴミやヘドロをたくさん身にまとっていて「腐れ神」と呼ばれていたのが印象的でした。

ゴミやヘドロを出した時、本来の河の神になり、

『よきかな』

と一言、言ったことも、神や自然界は人間がどの道ヘ進もうとも、ただ受け入れ、人間の気づきに任せるのかも知れないと思いました。


以前、観た時は気がつかなかったのですが、今回、河の神は奈良県吉野の天河大弁財天社に奉納されている能面『阿古父尉(あこぶじょう)』のように見えました。

天河大弁財天社には関係する方によく連れて行っていただきました。
ご縁に感謝します。
守神のように飾られていた能面の絵にとても惹かれます。
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生活していく上で汚染はしていくものだと思います。
しかし、浄化することもできるのが私たちでもあると思っています。




自然と共存していく生き方ができますように*・゜゚・*.。. .。.:*・゜゚・*