伊豆下田漫遊記〆は歴史街道。

 

幕末、黒船で来航したペリー提督一行が行進したペリーロードです。

 

ペリーロード

 

日米和親条約付録下田条約締結の舞台となった了泉寺まで続く、200m程のペリーロード。

 

そんな歴史街道沿いには、歴史的建造物が残っています。

 

大傳商店・喫茶店PEPE

*読みは"ダイデンショウテン"

 

なまこ壁ともじゃハウスのミックス建築。

 

江戸時代後期創業で、元雑貨商。

 

現在は貸しおしぼり業と喫茶店の兼業です。

 

草画房

(下田市認定下田まち遺産)

 

大正3年(1914)築造と伝わる古民家。

 

現在は喫茶兼ギャラリー。

 

 

橋から旧澤村邸と下田公園を望む。

 

 

ペリーロードを象徴する光景。

 

石蔵は元廻船問屋だったそうです。

 

 

平滑川沿いの伊豆石の石蔵と柳並木。

 

初夏は紫陽花もセット。

 

土佐屋 SOULBAR TOSAYA

 

安政元年(1854)頃築造の古民家。

 

現在は創作料理&バー。

 

なまこ壁と板壁の融合が独特な美観を生み出しています。

 

平滑川

 

小魚が泳ぎ、蟹が群れを作っています。

 

 

近くではカルガモの親子が水浴びをしていました。

 

 

柳の影で涼む紫陽花。

 

Kazamachi  風待

 

骨董やレトロ雑貨を展示している喫茶店です。

 

風待の脇の石段を上がっていきます。

 

大浦山 長楽寺

(下田市指定史跡)

 

弘治元年(1555)創建の真言宗寺院。

 

安永元年(1854)、ここで日露和親条約が締結されました。

 

これにより国境が定まり、北方四島は日本領土となります。

 

旧ソ連が日本の降伏後に侵略と殺戮の末、占拠という卑劣極まりない蛮行をするまでは・・・

 

 

なまこ壁の塀に囲まれた鐘楼。

 

時の鐘として親しまれていたそうです。

 

ペリーロードに戻り、歴史街道の終点へ。

 

 

ペリーロードは了泉寺の参道へ繋がっていきます。

 

法順山 了泉寺

(国指定史跡)

 

寛永12年(1635)、名奉行として知られる下田奉行・今村正長が開基となり創建した日蓮宗寺院。

 

 

嘉永7年(1854)に神奈川で締結された日米和親条約により下田と箱館が開港されて、215年にも及んだ鎖国が終焉、日本は近代化への道に進みます。

 

 

そして、安政4年(1857)、追加条約である下田条約の調印がここ了泉寺で行われました。

 

 

歴史の大変革の舞台となった境内。

 

境内には数百株のアメリカジャスミンが植樹されていて、5/下旬頃に満開を迎えます。

 

その為、別名ジャスミン寺。

 

ペリー上陸の碑

 

港に設置された記念碑。

 

開港の90年後には戦争をした日米両国。

 

戦争では敗北したものの、昭和期に経済力でアメリカを猛追した日本。

 

バブル崩壊後、経済力のみならず、価値観までも凋落してきた感がありますが、それでもまだ素晴らしい国であると思い、日本人として日本に生まれ育った事を心から幸せに感じるのでした。

 

そんな9年振りの下田。

 

ご当地マンホール

 

黒船のデザイン。

 

ランチ難民となり、ついぞ金目鯛は食べる事が叶わずな一日だったけれど、駅隣接の土産物屋で下田名物の塩鰹の調味料類を買い込み、帰路に就いたのでした。

 

20代の頃、スキューバダイビングでもよく訪れた伊豆半島。

 

これを機に伊豆巡りを深めていこう。

 

 

帰りの列車の車窓から。

 

うっすら見える大島。

 

伊豆七島も行かないと。

 

以上、日帰り下田漫遊でした。