GWの秋田漫遊最終日。

 

由利本荘から最終目的地へ。

 

<旅の行程>

1日目:男鹿

2日目:男鹿→秋田

3日目:由利本荘→象潟

 

羽後本荘駅から20分程下ると、山形県との県境、にかほ市の象潟駅に着きます。

 

象潟は松尾芭蕉の「奥の細道」の最北の地。

 

芭蕉が訪れた古刹へ向かいます。

 

駅から徒歩10分程で門前に到着。

 

◆蚶満寺◆

*読みは"カンマンジ"

 

線路沿いの松並木の参道。

 

 

象潟はかつて、松島と同様に無数の小島がある入江で、"東の松島、西の象潟"と謳われていました。

 

ところが、文化元年(1804)の象潟地震で南北25kmが隆起して干潟となり、小島は丘の様になり、現在の独特な景観が形成されました。

 

象潟地震は推定震度6強。

 

津波や液状化現象も伴い、5,000棟超の家屋が倒壊、300人超の死者が出た大災害でした。

 

松尾芭蕉像

 

芭蕉が訪れたのは、元禄2年(1689)の事で、象潟がまだ風光明媚な入江だった頃。

 

"象潟や 雨に西施が ねぶの花"

(意味は"雨の象潟は眠る西施の様に美しい")


芭蕉が残した句です。


西施像

*読みは"セイシ"

 

西施は中国古代四大美女と言われる人物。

 

また、芭蕉は松島と象潟を比べて、"松島は笑うが如く 象潟は恨むが如し"とも述べています。

 

芭蕉が目にした雨の象潟…

 

太平洋側と異なる、重くどんよりとした日本海側の風景が思い浮かびますね。

 

山門

(にかほ市指定有形文化財)

 

江戸中期建立と伝わる山門。

 

蚶満寺が宮家の祈願所だった為、瓦には菊の御紋が使われています。

 

この先の受付で拝観料を納めます。

*拝観料¥300

 

 

様々な草木に囲まれた独特な雰囲気。

 

位牌堂

 

鐘楼

 

鐘楼の足元には大きな芭蕉。

 

御本堂

<由緒>

曹洞宗 皇宮山 蚶満寺

創建:仁寿3年(853)

御本尊:釈迦牟尼仏

開山:円仁

 

慈覚大師・円仁の開創と伝わる古刹です。

 

鎌倉時代には鎌倉幕府5代執権・北条時頼が訪れ、再興をしました。

 

 

その為か、堂内には北条家の家紋・三つ鱗の幕が架けられています。

 

また、三韓征伐の折り、神功皇后が大時化により象潟に漂着し、この地で皇子(後の応神天皇)を産んだという伝承が寺の縁起にあるそうです。

 

東北での神功皇后伝承は珍しい気が…

 

古代、福岡と象潟の間で何があったのだろう?

 

海運による交易?民族の移動?

 

 

苔むした深淵なる空間。

 

寺に伝わる"蚶満寺七不思議"を少し巡ります。

 

夜泣きの椿(七不思議 二)

 

海から陸地となった土地利用について、寺と領主が抗争となっていた時、椿が夜泣きをして、住職に迫る追手の存在を伝えたという伝承があるそうです。

 

続いて、境内の裏手へ。

 

北条時頼公のつつじ(七不思議 四)

 

正嘉元年(1257)、北条時頼の寄進と伝わり、"咲かずの躑躅"とも呼ばれています。

 

親鸞聖人御腰石

 

江戸時代、島原の西方寺から移されたもの。

 

木のぼり地蔵(七不思議 五)

 

幹が二又になっている所に小さなお地蔵さん。

 

出世稲荷堂

 

その下に鎮座するお稲荷さん。

 

タブの木(犬楠)

 

樹齢1000年を超える巨木です。

 

芭蕉句碑

(にかほ市指定史跡)

 

タブの木の裏にひっそり佇む句碑。

 

宝暦13年(1763)に建立されたものです。

 

 

庭園の縁へ。

 

司馬遼太郎も戦友だった住職に会いに来たエピソードを著書「街道をゆく」で描いた蚶満寺。

 

その頃から風景は変わったのだろうか?

 

舟つなぎの石

 

かつて海だった頃の名残りですね。

 

境内を後にして、少し歩いた先の小島へ。

 

駒留島

 

まるで小さな古墳の様。

 

 

島(今では丘)に上がると、田園風景越しに鳥海山が望めました。

 

 

これは案内板の写真ですが、象潟の風景は俯瞰した方がその独特さや美しさが伝わりますね。

 

ご当地マンホール

 

象潟の夕暮れのデザイン。

 

時刻は15時、そろそろ帰京する時間。

 

秋田に戻り、バスで空港へ。

 

念願の男鹿半島と象潟を堪能した3日間。

 

秋田県、もっと深掘りしないと。

 

旅のお終いです。