男鹿2日目。

 

大龍寺から男鹿駅まで戻り、タクシーで次の目的地、なまはげ発祥の神社へ。

 

海沿いを走り15分程、標高715mの本山の麓にある駐車場に着きます。

 

◆赤神神社 五社堂◆

(男鹿市指定史跡)

 

駐車場からすぐの鳥居とその先に続く石段。

 

男鹿を訪れた最大の目的、赤神神社。

 

その入口を目の前にして、胸が高鳴ります。

 

 

かつて、男鹿は本山と真山を中心にして、赤神権現を信仰する修験道の一大拠点でした。

 

最盛期には9寺48坊が存在していたそうです。

 

この写真は江戸時代初期に狩野派の画家が描いた本山の図屏風の模写。

 

麓から中腹の五社堂まで堂宇や塔が連なっている様子が窺えます。

 

門前という地名もその名残りですね。

 

 

気持ちを沈めて石段を上がっていきます。

 

この石段は、漢の武帝が連れてきた鬼が積み上げたものという伝承があります。

 

朝までに1000段積めなかったら悪さをしないという賭けを村人とした鬼が、夜明け直前に鶏の鳴き声を真似た村人に騙され、999段で負けを認めて退散する…

 

全国各地に残る伝承と同じですね。

 

 

999段あるかは分からないですが、ほぼ石を積んだだけといった感じのワイルドな石段。

 

 

15分程で鳥居が見えてきます。

 

姿見の井戸

 

江戸時代初期の旅行家・菅江真澄がその著書で、"この井戸の水鏡に映る姿がぼんやりとなる人は長生きしないという占いがある"と記しています。

 

 

いよいよ最後の石段。

 

木立の向こうに社殿が見えてきました。

 

 

長年、自分の目で拝みたかったこの風景。

 

念願が叶う瞬間の興奮たるや…

 

五社堂

(国指定重要文化財)

<御祭神>

赤神山大神(瓊瓊杵尊)

 

貞観2年(860)、慈覚大師円仁により開かれた赤神山日積寺永禅寺がその前身。

 

以降、山岳信仰の拠点として栄え、安東氏や佐竹氏ら歴代領主から厚い加護を受け、明治3年(1870)に神仏分離により赤神神社となります。

 

また、なまはげのモデルは眉間・逆頬・眼光鬼・首人鬼・押領鬼の5匹の鬼と伝わり、その鬼を祀る赤神神社は古来、なまはげ発祥の地とされてきました。

 

瓊瓊杵尊は後世の後付けなのでしょうね。

 

 

現在の五社堂は宝永7年(1710)の建立。

 

左から三の宮堂、客人権現堂、赤神権現堂、八王子堂、十禅師堂。

 

 

建保4年(1216)、比叡山の山王七社の勧請で造営されるも、2社が廃れて5社となったそうです。

 

仏教において"五"が持つ重要な意味を考えると、5社の方が相応しい気も?

 

五社堂 赤神権現堂

 

他よりも造りが大きい中央の赤神権現堂。

 

 

赤神権現堂だけ開扉されています。

 

中に安置されている厨子は社殿より古い室町時代後期のもの。

 

 

社殿の花頭窓は神仏習合時代の名残り。

 

 

五社堂を眺めていると、地・水・火・風・空の自然の五大要素の化身が鬼というカタチに変化をして、それがいつの頃か山から里に降りてくる神、なまはげになった?などと妄想してしまうのでした。

 

逆さ杉

 

石段積みで負けた鬼が腹を立てて、杉の巨木を抜いて逆さにして大地に突き刺したと伝わるものです。

 

 

この歴史深い空間で暫し佇み、その空気を全身全霊で感じて…

 

念願のお参りを終えて、下山します。

 

仁王門

 

スタートの鳥居から脇に続く小径を下った先に建つ仁王門。

 

石段から続く旧参道です。

 

 

更に下ると、海が見えてきます。

 

拝殿(遥拝殿)

 

ここが参道の起点のようです。

 

ここからすぐの門前駐車場のバス停へ向かいます。

 

御朱印・御守り

 

五社堂脇の授与所は無人なので、セルフで授与料を納めるシステム。

 

 

門前駐車場の巨大なまはげ像。

 

この脇の看板の所から港に下りてクルーズ船に乗船予定でした。

(が、前回書いた通り、波のうねりで欠航)

 

 

駐車場からの眺望。

 

ご当地マンホール

 

五社堂デザイン。

 

帰りは路線バスで30分、男鹿駅に戻ります。

 

次回、男鹿の町並みの記事を送ります。