香椎から太宰府へ。

 

12年振り2度目の訪問です。

 

天神様や太宰府の史跡を巡ります。

 

<旅の行程>

1日目:福岡→太宰府→二日市温泉

2日目:久留米→筑後吉井

3日目:うきは→八女→柳川

4日目:柳川→八女→久留米

 

年間800万人が訪れる太宰府天満宮。

 

全国12,000社の天満社系の総本社です。

 

コロナ禍ではあるものの、NO-MANBOな福岡だからか、駅前も参道もかなりの人出で、まるで鎌倉の小町通り状態。

 

ほぼ10〜20代の若い人達でした。

 

鎌倉同様、中高年層はまだ自粛の様子。

 

◆太宰府天満宮◆

 

人の流れを見て工夫して撮る苦労…

 

石造鳥居

(福岡県指定有形文化財)

 

鎌倉時代末期建立、福岡県最古の石鳥居。

 

参道は心字池に架かる朱の橋に繋がっていきます。

 

 

太鼓橋

 

3つの橋はそれぞれ過去・現在・未来を表しているそうです。

 

己の人生を振り返りながら一歩々。

 

志賀社

(御祭神:綿津見三神)

(国指定重要文化財)

 

長禄2年(1458)建立の境内最古の建造物。

 

600年近い歳月、星の数程の人の往来を見つめてきたのでしょうね。

 

 

橋を渡り、楼門へ向かいます。

 

楼門

 

大正3年(1914)の再建。

 

前代の楼門は石田三成が寄進したそうです。

 



楼門近くまで続く参拝者の列。

(きちんと二列な日本人の美徳)

 

その先に鎮座する御本殿。

 

拝殿を持たず、直接御本殿という造り。

 

御本殿

(国指定重要文化財)

<御祭神>

菅原道真公

 

御祭神はご存じ、学問の神様、菅原道真公。

 

昌泰4年(901)、藤原氏の策略により太宰府に左遷され、その2年後に太宰府で亡くなります。

 

その葬送の際、牛車が安楽寺の門前で止まり動かなくなった為、それを菅公の遺志と捉え、その地に廟を建てて天原山庿院安楽寺としました。

 

その後の延喜19年(919)に社殿を建立したのが、太宰府天満宮の創祀とされます。

 

 

現在の御本殿は天正19年(1591)、小早川隆景による再建です。

 

御本殿の下に菅公の墓があると伝わります。

 

 

菅公の死後、京都では疫病や異常気象が相次ぎ、更には、陰謀に関わった天皇やその皇太子、貴族が次々と不吉な死を遂げて、"道真の祟り"と恐れられます。

 

都は相当なパニックに陥ったのだとか…

 

 

御本殿裏手にも拝所。


祟りを鎮めようと躍起になる朝廷は、社殿を建て、菅公に太政大臣の位階を追贈し、本来は天皇・皇族を祀る神社の社号である"宮"も授けたりもしました。

 

 

御本殿裏に連なる境内社。

 

菅公の子孫らが祀られています。


そして、菅公の死から500年、"祟り神"は"学問の神"として崇敬されるようになります。

 

夫婦樟

(国指定天然記念物)

 

樹齢1000〜1500年と言われる大楠。

 

 

社殿の東側に連なる境内社。

 

 

可愛らしいミニ撫で牛。

 

菅公が丑年生まれで、亡くなったのも丑年、更に、葬送の時にこの地に留まった牛車の伝説など、撫で牛の由来は複数あります。

 

銅製麒麟並に鷽

(福岡県指定有形文化財)

 

嘉永5年(1852)奉納の銅像。

 

菅公が蜂に襲われた際、鷽が助けた事が由来で、毎年1/7に鷽替え神事が行われます。

 

 

境内裏手に広がる梅林にある食堂にて。

 

懐かしい味わいのカツ丼とうどん。

 

 

訪れたのは3/24、桜が見頃を迎えていました。

 

ところで、

 

10代前半の頃にとあるコから貰った御守りを神社に返すのも、参拝の目的でした。

 

35年以上の歳月を経て、少年期の恋を想い起こして…境内を後にしました。

 

そんな想いに浸っていたからか、ランチのビールが効いたのか、御朱印貰い忘れw

 

またその内にです。

 

続く。