厳原八幡宮神社から通りを挟んだ地区へ。
中村地区と呼ばれ、寛文年間(1661〜1673)に武家町として整備されたものです。
今も遺る石垣や武家門が往時を偲ばせます。
中村地区武家屋敷通り
(長崎県指定まちづくり景観資産)
対馬は石の文化。
美しい色味の調和を魅せる石垣。
宗義智公之像
対馬藩初代藩主・宗義智の銅像。
宗氏は関ヶ原の戦いで西軍につきましたが、徳川家康から朝鮮との国交回復を命じられ、その代わりに所領は安堵されます。
けれど、正室の小西マリアは、父が西軍の小西行長だった為、小西家滅亡と共にその身を追われ、宗義智とも離縁、長崎の地で亡くなりました…
半井桃水館
*読みはナカライトウスイ
樋口一葉の師と言われる半井桃水の生家跡で、現在はイベント施設になっています。
向かいには石垣の武家屋敷通りの教会。
厳原聖ヨハネ教会
九州ならではの風景ですね。
町の所々にお社が建っています。
大歳神社
(御祭神:大歳神・興津彦神・興津姫神)
須佐之男命の系譜の神々が祀られています。
山に向かって続く石垣の町並み。
長寿院
対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好で活躍した儒学者、雨森芳洲の墓がある寺院。
豊臣秀吉による朝鮮出兵により、日本と朝鮮の国交は断絶となりますが、対馬藩の交渉により国交は回復、朝鮮通信使が来日するようになります。
中村地区から通りに戻り、北上します。
大町通りから続く馬場筋通りには、門の遺構が点在しています。
旧氏江家長屋門(対馬支庁の長屋門)
(対馬市指定有形文化財)
対馬藩家老・氏江家の屋敷跡に遺る長屋門で、屋敷跡は現在、庁舎が建っています。
庁舎裏の庭園が往時を偲ばせます。
庁舎を囲む石垣も氏江家の石塀だったもの。
裏門も遺されていました。
庁舎裏の高台もかつて武家屋敷町でした。
藩政時代、裏山で火薬製造が行われ、第二次世界大戦まで弾薬庫があったそうです。
石垣は防火壁としての役割もあり、厳原には今も袖壁の様に建つ石垣が遺っています。
今屋敷の防火壁
(長崎県指定有形文化財)
通りに戻り、再び5分程北上。
藩校日新館門
(長崎県指定有形文化財)
宗氏の中屋敷門を幕末に移築したもので、立派な寺院並の存在感に圧倒されます。
現在、門の後ろに建つのは武道場。
(さすが元武家町)
対馬で見かけた猫は何だかイカツい。
これにて漫遊3日目もお終い。
翌日、昼まで厳原を巡って博多に戻ります。
続く。

















