西南戦争の激戦の舞台となった人吉。

 

寺院にも戦の記憶が残っています。

 

◆永国寺◆

山門

"幽霊寺"とも称される名刹です。

 

風情ある木立の参道。

 

振り返れば、

 

真っ直ぐ人吉城へと伸びる通り。

 

鐘楼門

睨みを効かせる仁王像。

 

 

境内には様々な石碑が建っています。

 

千人塚石碑

 

朝鮮出兵時、豊臣秀吉は諸大名に手柄の証拠として、敵兵の鼻耳を削ぎ落とし、目録として提出するように命令をしました。

 

苔むした石碑は、その霊を鎮める為に建てられたものと伝わります。

 

人吉二番隊士の碑

 

西南戦争で戦死した人吉二番隊士6名を弔い、明治12年(1879)に建てられました。

 

五重石塔

(人吉市指定有形文化財)

 

球磨地方最古の在銘重層石塔で、"嘉禄三年〜"の銘文が刻まれています。

 

千手堂(観音堂)

(御本尊:千手千眼観音)

 

永国寺は肥後三十三観音第九番札所で、その御本尊は江戸時代の作。

 

御本堂

<由緒>

曹洞宗 蓬萊山永国寺

創建:応永15年(1408)

御本尊:釈迦如来

開基:相良前続(第九代藩主)

開山:実底超真

 

曹洞宗の大本山総持寺の直末寺です。

 

御本尊の釈迦如来像は鎌倉末〜室町時代の作と推定されているそうです。

 

現在の御本堂は2年前に改築されたもの。

 

曹洞宗らしい質素な佇まい。

 

真新しく木の香りが漂います。

 

西郷本営跡地

 

西南戦争時の明治10年(1877)、西郷隆盛は永国寺に本営を設けるも、官軍の侵攻により、1ヶ月後には退却し、その際、永国寺も戦火に包まれます。

 

この碑は昭和19年(1944)、西郷隆盛の甥が追善法要を行った際に建立したもの。

 

庫裡

中では、子供達がカルタで遊んでいました。

(人吉は"うんすんカルタ"で有名)

 

美しき木の堂内。

 

"幽霊寺"と称される由縁がこちら。

 

開山の実底超真が描いた寺宝の掛軸です。

 

幽霊掛軸

*公開されているのは複製

 

本妻の嫉妬に悩み、球磨川に身を投げ幽霊となった妾が本妻を苦しめていたところ、和尚が描いた己の姿を見て改心し、成仏したという言い伝えが残っています。

 

 

幽霊が出たと伝わる御本堂裏手の池。

美しさに心癒されつつ、どこかしんみり…

 

境内の桜は見頃を迎えていました。

 

悲しい幽霊の伝承に、西南戦争の記憶…

 

そして、楽しそうにカルタで遊ぶ子供達。

 

悲しみも苦しみも楽しみも、人々の心と魂の拠り所であり続ける永国寺。

 

心に残るお参りでした。

 

続く。