「博物館 網走監獄」後編です。

 

舎房を出て周辺施設巡りです。

 

網走国営公園の天都山中腹に広がる敷地は、東京ドーム3.5個分に相当します。

 

二見ヶ岡刑務支所

(国指定重要文化財)

 

収容者の食糧供給を担う農園作業施設として、明治29年(1896)に建てられたものです。

 

 

庁舎・舎房・教誨堂及び食堂・鍵鎖附着所・炊場の5棟から成っています。

 

 

歴史を感じる煉瓦の廊下。

 

 

収穫物の選別を行っている模様。

 

 

他にも、

 

大小様々な施設が移築・復原されています。

 

旧網走刑務所職員官舎

 

"看守長屋"と呼ばれていたそうです。

 

極寒の地での看守の生活も楽ではなかった事でしょうね。

 

 

休泊所

 

遠方での作業をする際に設けられた仮小屋で、"動く監獄"と呼ばれました。

 

網走と札幌を結ぶ中央道路の開削工事においては、延べ1,200名の受刑者が投入され、休泊所が解体と移動を繰り返しました。

 

工事は困難を極め、200人以上もの死者が出ました。

 

死者はその場で埋葬され、囚人を繋いでいた鎖が置かれた事から、"鎖塚"と呼ばれていたそうです。

 

昭和中期以降、遺骨発掘作業が進められ、追悼碑や墓が建てられました。

 

枕は丸太。

 

 

棍棒で丸太を叩いて起床させたとか…

 

耕耘庫

 

米国の近代的農業制度が導入されました。

 

 

雪に埋もれた畑。

 

 

哨舎、登り窯、高見張りが見えます。

 

浴場

 

網走監獄、いや、網走と聞いてこの光景を思い浮かべる人も多いのでは?

 

 

私的には、背中の絵画よりも唐傘天井に目が行ってしまう。

 

煉瓦造り独居房

(国登録有形文化財)

 

煉瓦造りや木造の独居房。

 

独立型独居房

 

厚生施設もあります。

 

教誨堂

(国指定重要文化財)

*読みはキョウカイドウ

 

破風の懸魚の装飾が見事。

 

受刑者が建てたものだとは驚きです。

 

和の外観に対して、内部は洋の空間。

 

 

明治維新後の混乱期、多くの政治犯が逮捕され、過剰拘禁状態となっていた国内の監獄の状況を改善する為に、北海道の地に作られた巨大集治監、網走監獄。

 

そして、囚人たちにより北海道の開拓が進められました。

 

想像を絶する過酷な日々と北海道の近代化という、裏表の歴史を持つ網走監獄。

 

複雑な想いを胸に、囚われ人に哀悼の意を…

 

 

監獄を後にして、天都山の頂へ。

 

続く右矢印