間が空いたり、他の記事を挟んだりですが、滋賀漫遊の続きです。
旧西川邸に続くのは、一等地に建つこちら。
◆旧伴家住宅◆
(近江八幡市指定文化財)
一見、何かの施設の様な出で立ち。
文政10(1827)から天保11年(1840)頃に建てられたもので、明治時代以降は、役場や学校として使われ、戦後、近江兄弟社の図書館だった時期もあるそうです。
そして、復元工事を経て、平成16年から一般公開となりました。
中に入ると、土間の中央にひと際目を引く左義長の山車がそびえています。
見上げれば、3階部分まで続く吹き抜け。
煙出しから明かりが射し込んでいます。
伴家は元々、織田家や豊臣家に仕えた武家でしたが、江戸時代に商家に転じ、扇子や近江蚊帳、麻織物で財を成し、日本橋では為替業務もしていました。
その隆盛振りは、井原西鶴の「西鶴折留」に描かれたほどだとか。
近江の伝統工芸品が陳列されています。
45畳もある2階の大広間。
女学校の唱歌室として使われたそうです。
続いて、中2階風の3階へ。
奥の部屋は確か旧校長室。
3階の大広間の見事な梁。
2階建てすら禁じられていた時代に、堂々たる3階建ての大屋敷。
法をも超える豪商の力。
ところで、近江八幡は京へ続く要所であり、江戸時代には、朝鮮通信使が通る道として、朝鮮人街道とも呼ばれました。
そんな往時の資料が展示されています。
通信使をもてなした膳の数々。
華やかな通信使の行列の風景。
朝鮮半島から日本海を渡り、近江八幡を通り京都へ…そんなかつての外交ルートの恩恵もあり、大いに栄えた近江八幡。
欧米から太平洋を渡り、横浜を通り東京へ…明治時代以降、欧米からの貿易・外交ルートとして栄えた我が町、横浜。
モノの流れが都市の未来を作る。
時代の変遷を感じた豪商の館でした。
次回から和から一転、洋の風景を送ります。
続く![]()
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