先日22日夜中の2時半携帯がなりました。

えー?

母の施設から

 「お母さんが息をしてません  今人工呼吸

 をして救急車を呼びました。」

「どこの病院へ行くんですか」とわたし。

「まる〇病院院が近いのでそこに行きます。」

「わかりました、わたしもそこに向かいます」

その病院に着いた時にはもう心臓は止まってました。手を尽くしましたが。。。

ということです。

何があった?なんで??5日前に退院して

だいぶ元気そうに見えて3日前には

違う科のある日赤にいって付随意運動の

治療を始めたばかり。。


後で聞いた話では30分前に酸素濃度を測る

とき いくつあるかな?

「100あるかなー?」と母

「100はないけど98あるから大丈夫🙆‍♀️」

と介護士さん。そんな会話をして

20分ぐらい後に仮眠に入るから

もう一度回ろうとまわったところ

異常が起きてたそうです。

そんな短時間で何がどうなった??

息がしにくいというのがしばらく続いて

入院した3週間弱。。

随分息も楽になって帰ってきたのに。。

来月21日は誕生日で91歳になるところだった。


何であっけない。

でも長く苦しがったわけでなくて良かった。

いま明日に控えたお通夜を前に

母と2人いる。

2人っきりで部屋にいるのが怖くて

隣の部屋で手紙を書いてその後

このブログを書いてます。

親なのに怖いなんて😱😰


わたしの母への最後のラブレター

読んでください。




思い出と後悔とお願いを書きました。

最後に母のよく言ってた

わたしの大好きな言葉

 あ り が と う

で締めくくりました。


手紙でしか言えないわたしのたせめてもの

思いの込めて。。

天国の母へ。


今回の母が亡くなったことによって

いくつものありがとうがありました。

初めての私らが贈る立場の分からない

ことだらけを助けてくれたアスピカの

社員さん。

親戚のおばさん。

そして 別れた旦那は次女を連れて来て

くれること。

長女は拒食症を克服しつつある孫を連れて

母のさよならを言いに来てくれる。

長女は葬式にも出席してくれます。

そして もう何が何か分からない父にも最後に

母と会わせたい。

わたしの願いを聞き入れてくださった

特養の職員さん。

母の顔をみて精神的にショックを受けて

父の症状に悪影響があったとしても

あとは私たちに任せてくださいと

言い切ってくださった。

明日連れて行きますから。と。。

いっぱいみんなの優しさが身に染みました。

まだ母が亡くなった悲しみはないけれど

みんなの優しさが涙が出るくらい

嬉しかったです。

さらにもう一つ

 わたしと母ちゃんと2人だけなんや。

 母なのに怖いと言ったら

電話で1時間40分も付き合ってくれた

友達。。

お店の店長やパートさんたちも

仕事は気にしないで

しっかり見送ってね、って。。


みんなやさしいよー。。

母ちゃん。。。