2002/11/12(Tue)AgMo=7.3
     -其の二・1869~1870-
     1869(明治2)年11月12日。133年前の今日を初日に20日、26日の3回に分けて資金調達交渉を、全権使・伊達宗城、大隈重信、伊藤博                       文がホレーシオネルソンレーと行い、英通貨100万ポンドの借入と技術者雇用に関する正式契約を締結。              〃年 〃月18日。駐日アメリカ弁理公使・チャールスEデロングが、外務省に対してポートマン契約の再確認を交渉。              〃年12月   。弾正台(のちの司法省)が太政官に、鉄道建設反対の建議を提出。              〃年 〃月   。イギリス人開拓技師・E,H,M,ジェウェアらを雇い 炭鉱~茅沼村海岸間の3.1kmに0.9m(1ヤード)当り4                       .1~5.4kgの鉄製軌条を敷設。日本最初の鉄道。但し動力は牛馬牽引。      1870(明治3)年 2月 3日。駐日アメリカ弁理公使・チャールスEデロングに対し、政府の自国経営方針を述べ、ポートマン契約の件に関する申                       し入れを拒否。
             〃年 〃月   。弾正台(のちの司法省)が太政官に再度、鉄道建設反対の建議を提出。              〃年 3月17日。太政官と東京府は品川県と神奈川県に対して、鉄道建設のための東京から神奈川まで外国人同道官員の出張の旨を                       通達。              〃年 〃月19日。鉄道建設業務を統括するための機関として、民部省と大蔵省の合同で鉄道掛を設置。事務局は東京府築地の旧尾張                       藩の邸を使用。              〃年 〃月22日。横浜へ鉄道掛の出張所を設置。事務局は横浜野毛町の元修文館。              〃年 〃月24日。鉄道掛員と外国人技術者が、芝口柴井町~田町~芝車町の測量を開始。
             〃年 〃月25日。土木大属・小林易知、準十等出仕・小野友五郎、傭イギリス人建築技師・エドモンドモレルらが、汐留付近の測量                       を開始。日本最初の鉄道企業。              〃年 〃月   。民部省が東京府に対して、鉄道線建設予定地の建物の買収・移転について通達。              〃年 〃月   。新橋~横浜間の土木工事は直営、建築工事は新橋~品川間を杉井定吉が、品川~六郷間は平田吉平が、六郷~横浜                       間は高島嘉右衛門が、また海面埋築のような特殊土木工事は入札にて行うと決定。              〃年 4月 3日。鉄道企業が横浜側で野毛浦海岸の測量に着手。              〃年 〃月12日。民部省が、浜離宮海軍基地拡張用地を停車場と決め、工事を開始。
             〃年 5月 2日。兵部省が、浜離宮海軍基地拡張用地内の停車場建設中止と建設地変更の申し入れをする。              〃年 〃月23日。伊藤博文が大隈重信宛に書簡を送り、借款契約に関するホレーシオネルソンレーの行為は不法であると非難する。              〃年 〃月24日。政府は正式の委任書をオリエンタル銀行に交付し、ホレーシオネルソンレーとの契約を破棄。              〃年 〃月26日。神奈川県の石崎~青木町海岸線までの築堤建設につき、東京府・神奈川県・品川県に対して告示をし、埋立工事の                       希望者を募集。              〃年 6月 1日。政府はオリエンタル銀行宛に、ホレーシオネルソンレーとの契約解消と、同銀行による契約承継命令書を送付。
             〃年 〃月11日。鉄道掛が、高島嘉右衛門と神奈川海岸築堤建設契約『鉄道御造営に付き横浜野毛海岸石崎並より神奈川青木町海岸                       迄土堤築地之条目』及び『埋立地仕様書』を取り交わす。日本初の鉄道工事請負契約と仕様書の最初。              〃年 〃月18日。京都府と1府11藩2県下に対して鉄道線路測量を通達。              〃年 〃月28日。新橋~横浜間の橋梁工事、神奈川陸橋を着工。日本初の鉄道橋建設の着工。              〃年 〃月29日。新橋~横浜間の測量が完了。高島嘉右衛門が、神奈川築堤工事に着手。              〃年 〃月30日。兵部省兵部大輔・前原誠一が、鉄道建設反対を建議し、また兵部省も太政官に対して「東京の停車場を汐留とする                       事に反対・皇居の西側が妥当」との建議書を提出。