私は、私の身体を
ちゃんと見ていただろうか
不調が出たとき、
違和感を感じたとき。
身体を感じる前に、
頭で答えを探していなかっただろうか。
そして意識は、どんどん外側へと
情報を集め始める。
人の身体は、思っている以上に
言葉と、脳と、神経の影響を受けています。
どんな言葉を自分にかけているか。
どんな前提で身体を見ているか。
それだけで、筋肉の緊張も、
呼吸の深さも、内臓の働きさえも
変わってしまう。
私は朝、目が覚めるとお布団の中で
しばし身体を動かす時間をとります。
ほんの少し動いて、観察する。
カラダと意識を結ぶ、とても大切な時間です。
そこには、いつも新しい発見があります。
「あぁ、ここ、硬いな〜」
そんな部位と出会ったとき。
私は、問いかけます。
「この硬さは、何を守ってきたんだろう?」
「もし恐れがあるとしたら、何に対してだろう?」
硬さは、敵ではありません。
多くの場合それは、
防御であり、無意識のうちに
私を守ってくれていた優しさです。
脳は、危険を感じると
身体を固めて守ろうとします。
過去の経験。
我慢してきたこと。
頑張り続けてきた日々。
その記憶は、言葉にならないまま
肉体に残ります。
だから私は、
無理に緩めようとしません。
「もう大丈夫だよ」
「その硬さを取ったら、怖い?」
そう語りかけて、待ちます。
すると、呼吸とともに
力みが、すーっと解放されていく。
これは、
エネルギーワークをするときも同じです。
私は、ご本人に代わって
一つ一つの部位に心の中で声をかけています。
「いつもありがとう」
「ここまで支えてくれて」
「気づかなくて、ごめんね」
すると不思議なことに、
次々といろいろな部位がざわめき始める。
ずっと誰にも気づかれず、
意識も向けられずに
頑張り続けてきた
臓器や、器官や、部位たちは、
ただ存在に気づいてもらえただけで
喜ぶのです。
すると安心し、
身体が変わっていく。
私は、
これを何度も現場で見てきました。
だから、思うのです。
カラダを整えるということは、
技術を受けることでも、
正解を当てにいくことでもなく、
「ちゃんと見てもらえた」
「ちゃんと聴いてもらえた」
という安心感を
カラダが思い出すことなのだと。
もし今、
頑張っているのに
どこか満たされない感覚があるなら。
それは、あなたのカラダが
もっと丁寧に扱われたがっている
サインかもしれません。
私は、私の身体を
ちゃんと見ていただろうか。
このタイトルで
ここまで読んでくれたあなたは、
もう十分、変化の入り口に
立っているのだと思います。

