>>息子の強みにつぃて①
>>息子の強みについて②
このシリーズを面白いとおっしゃってくださる方がいて![]()
頑張って書いていこうと思いますが。。
なかなか進まないです
まだ、まだ、息子は中学生。
相変わらず野球だけにあけくれる毎日。
家にいるときは、ピアノやギターを弾いたり、歌ったりしてました。
絵も上手で、特に彼の版画はどことなく芸術的ですごく好きだったな~![]()
そういえば、私、なぜか絵が好きで家にたくさん絵を飾ってます。
そんなの関係あるのかな?
その頃、私は長年勤めた会社を辞めて、あれほど嫌だと思っていた
息子の野球の応援やお手伝いに行くようになりました
この世界、経験した人にしかわからないと思いますが、親にとっても
超ハードボイルドな世界でした![]()
私はとにかく思い物を持ち運んだり、動き回ったりするのが大嫌いな人。
我が家では、そういうことは全て夫と息子が担当してくれるもの。
これ、うちのルール。
余談ですが、私が電球を自分で変えたり、大工仕事系とか
一切しなかったできなかったのを見て、夫は自分がいないとダメだな
と思ったらしいのよ。
そんな私も、当然、他の母たちと一緒に、お茶や氷やおしぼりなんかが入った
大きな大きなクーラーBOXを運んだりしなくてはいけません。
わが息子。さすが私が育てただけあって・・(ここは大いに自慢します)
そんな私を見ると、パッと近寄ってきて、荷物を持ってくれるのです。
他の母からは「いいね~猪口君、優しくて」とよく言われました![]()
息子が小さい頃から
「お母さんにも苦手なことがある、それは大ちゃんがカバーして」とよく言っていました。
お母さんだから何でもできるなんて、大きな間違いだからね。」って。
「母さん、裁縫得意?」
「苦手!」
というと、息子は試合前にもらったぜっけん、自分でチクチク縫っていました。
「ピアノ、ギター、版画、手先が器用なんだから、自分でやるの。」
将来、息子のお嫁ちゃんからも私は感謝されるでしょう。
さて、高校の野球部からたくさんお声をかけていただけた息子。
お話は私達親のところに来るのもあれば、チームの監督やコーチのところに
行くこともあって、一体何校からお誘いいただいたかは、監督もよく把握してないと
仰っていました。
そんな中、一番最初に私達両親のところに名刺を持ってご挨拶に
来てくださった某私立高校のコーチの方が、私はやけに気になりました。
息子が出る試合、出る試合、全部というほど、見にこられて、
メモをとったり、写真を撮ったりされていて、何より息子のことが気に入ったと、
すごい熱意で何度も何度もアプローチしてくださいました。
当時そこはそんなに強いチームじゃなかったらしいので(スミマセン)
息子のチームの監督達はそこに行くことを、オススメされませんでした。
「息子の強み」を見ることを、あの時知っていたら・・・
他にも、うわさや成績だけで、電話一本で「是非うちに」という高校も
たくさんあったそうです。
福岡だけじゃなく、広島、大分、佐賀、鹿児島、宮崎、高校野球で有名な
高校ばかりで、びっくりです。
そんな中で、息子は知人のNスポーツ新聞のY氏のご紹介で、県外の
とある私立の高校に入学することが決まりました。
その監督さんが昔監督していた高校が甲子園優勝。
そして、誰もが知っているプロ野球の選手を育てたことで有名な方でした。
なんだか、すごい学校なんだそう![]()
この間の流れは、もう親の意見が通るということもなく、なんだか見えない
大きな流れに逆らうこともできず、あれよあれよと決まってしまっていた
という感じでした。
そんな強豪校に行って、息子が果たして活躍できるのか。
息子は中学生2年生から野球のチームに入り、まだ1~2年くらいしか野球を
やってないのに。
こんなことなら、ピアノなんかさせずに、もっと早くに野球チームに入れて
あげたらよかった
ごめ~~ん。
母の私としは心配ばかり募ります。
そんな親の心配を知ってか知らずか。。。
相変わらず息子は飄々としています。
お友達が受験勉強にあけくれている間、息子はもう推薦入学が決まって、
地元TV局の「アサデス」と言う番組が我が家に撮影にきてましたね~。
その放送を入学する高校の人も見てたとかで、やっぱり、
息子は入学前から人に知られている存在となっていました。
そして、中学校を卒業した後、進学する高校の甲子園出場が決まり、
入学式を待たずして彼はさっさと甲子園の応援へと旅立ちました。
ひえ~っ。早速、憧れの甲子園に行っちゃったよ。
甲子園から戻ったら、自宅にはもう戻らずまっすぐ入寮。
ぜっけん、一人で縫わせててよかった。
母は心からそう思いました。
>>>続く。