昨日の綾さんの記事から、いろいろ思い出しました。

 

 

 

まだ宇宙にいたころの私たちは、

当たり前にただ自然体で、大らかにのびのびと

愛や喜びを表現していたように思います。

 

(いや、淡々としていた気もします。)

 

 

その「大らかにのびのびと」した状態も

「自然体」も「淡々と」した状態も

 

 

地球で誤解され合い傷つき合い

「萎縮」や「心配」という不自然体を

経験したから理解できることで

 

 

何一つ、無駄な経験はないのだなぁと

改めて感じます。

 

 

 

高次元開発の講習時に

誘導瞑想で行った宇宙は

静寂そのもので、ただ在るだけの世界でした。

 

 

 

なんのジャッジも解釈も感情も差し挟まない世界は

味気ないくらいに「ただ、惑星が在る」だけでした。

 

 

 

誤解もないけど、情緒もないという

無条件の愛の調和の世界。

(私の印象ですが)

 

 

 

地球は、情緒も感動も、誤解も苦しみもある。

 

 

 

「トゥルーカンパネラ」というLOVINGで

一度ワンネス体験をして

地球に戻ってきたエネルギー状態の時に

 

 

 

最初に感じたのは

みんなのことが愛おしいという感情でした。

 

 

 

感じたいものから、感じていくそうですが

私が地球でしたかったことは

愛し合うことや情緒体験なんだと腑に落ちたんです。

 

 

 

誘導瞑想で行った宇宙では

「愛おしい」という感覚を感じられず

 

 

 

個と全が溶け合っていると、

愛おしいは感じにくいのか

いや、感情がない世界だから感じないのでしょう。

 

 

 

愛の世界なのに愛おしいと感じないなんて。

不思議。

 

 

 

感情がないのは、やっぱり味気ない。。

 

 

 

「愛を学ぶために孤独があるのなら

意味のないことなど起こりはしない」(Jupiterより)

 

 

 

愛が当たり前なら、愛だとは分からないものね。

よく出来とるね。

 


 

 

 

 

 

誤解は、されてきたし、私もしてきたんです。

 

 

 

自分の経験で生まれた

価値観や観念というものさしで計って

 

 

1つのものをそれぞれに多次元的に解釈して

勝手に愛じゃないと悲しんで。

 

 

 

誤解やジャッジは、されても、しても、哀しい。。。

 

 

いろいろ経験し考えるほどに、

表現が不器用になって。

 

 

「宇宙的に愛の表現を封印されていたから」

という真実が妙に腑に落ちましたが

それをちゃんと悲しいって感じたかったんだろうな。

 

 

 

伝わることが当たり前だったら

泣けるほどの感動もありがたみも

表現が伝わる喜びも

今ほど感じられなかったと思うから。

 

 

愛に泣いたり笑ったりは

宇宙ではできない体験。 

 

 

地球のコントラストも、本当によくできている。。。

 

 

でももう十分すぎるほど味わいつくしたから、

今日18時からの無償の一斉LOVINGも(ぜひみなさまもきらきら)

13日の有償のLOVINGも

ありがたく受け取らせていただきます。

 

 

 

アセンション後の地球が楽しみ。

 

 

 

愛の世界であるのに、感情がある。

安心して愛を感じられる世界。

 

 

あなたもわたしも、愛だね~

おもしろくて素敵だねって。

 

 

そっか!昨日の体験はそこへ行く前準備で、

もう一度、誤解による孤独を味わいたかったんだ笑

忘れないように、総復習してたんだ。

 

 

お互い、愛が伝わらず孤独にへこんで

大変だったね。

 

 

本当は、ただ

自分らしい愛を伝えあって

はぐはぐしたいだけなのにね。

 

 

人間て、愛おしいねぴんく。