私がまだ初めの結婚をしたての頃、
母がお気に入りの占い師さんがいて、
「すごく当たるから鑑定してもらいなさい!」
と特に悩みもないのに、連れていかれた。
その人は銀座の街角に立って、一人10分くらいで手相を
視てくれていた。
結婚したばかりで、何も悩みなどない私。
そろそろ子どもと思っているのですが、どうでしょうか?
と尋ねると、
「子供はまだ作らない方がいいね」
と一言。
「えっ?それで?作らないって、いつ頃なら作っていいのですか?」と聞くと
「結婚生活がどうなるかわからないから」
はい、次の人
絶句!
ちーーーーん!
で終わってしまった。
5分くらいの鑑定だった。
この時は、何でこんなこと言われなくちゃいけないのかしら?
どうせ占いなんだから当たらない・・・・。
当たるも八卦当たらぬも八卦。
と思っていたのだが、
その2年後、
出産と同時に、夫の浮気が始まり、夫婦仲は最悪に・・・。
あの占い
「当たってた・・・・。」
そこでまた銀座の街角に並んで、3年ぶりくらいに鑑定してもらった。
「夫の浮気はいつ治まりますか?私は離婚した方がいいですか?」
「治らないね。離婚したいなら、したほうがいい、我慢できるなら我慢して」
「はい、次の人」
また、5分でおしまい!
なんですか?
したいならしたほうがいいって、当たり前だよね?
この占い師さんは、アドバイスはしてくれない。
当てられることは当てるけど、
そのあとは、「自分で決めてね!」
ただ・・・・・。
5分の鑑定で、必要最低限の大切なことだけを伝えてくれたことは確か・・・。
月日が流れ、自分で、占いを勉強するようになり、人様を鑑定させていただくようになると
「当てる」
ことに何の意味があるのだろう?と思うようになってきた
たとえ「当たっている」鑑定結果だったとしても
占ってもらった人が、
それは当ててほしくないことだったり
受け入れられないことだったとしたら。
「当たってないこと」
としてその人の中で、処理されるだろう・・・・。
事実、私もそう処理してきたから、出産したのだ。
その事実を自分の中で消化できなかったときは
ほしい「答え」を求めて彷徨うようになる・・・・。
「当たる占い」って、何をもって「当たる」というのだろうか?
だから、統計学として数ある命占の中で、明暗があまりにはっきりでる系統の占術ではなく、
占星学が自分にしっくり来たのかもしれない。
自分を内観し、考えるきっかけを提案する占術だったから・・・。
タロットが啓示してくる、ふわっとしたメッセージがとても私に心地いいのは
「当てよう」という視点で対話していないからかもしれない。
視えたままの事を話す、降りてきたままを伝えるから、厳しい解答になる事もある。
と、なると当たるも八卦当たらぬも八卦(笑)になるよね(笑)
