人間関係で最近思うこと!

 

誰かと会話やLINE上でのやり取りをしていて、

 

「あれ?この人私のこと見えてる・・・?」

 

と思うことがある。

 

 



旦那さんに買ってもらった可愛い手袋!北国人は温かグッズを貰うととっても嬉しい😆

 



もちろん会話ややり取りをしているのだから、物理的には当然見えているのだと思う。

 

だけど、なんだろう?この一方的な感じは?

 

それを考察していました。

 

 

 

 

そうゆうのってなんだか、

 

私が言いたいだけ

 

のコミニケーションなんだよね。

 

私はあなたにこれが言いたい!これを伝えたい!だから言わせてもらうね!、的な。

 

 

 

 

 

若い頃(10代の頃)の恋愛を思い出した。

 

ある時出会った好きでもない男性に「俺たち運命だね!」って言われたことがある。

 

運命だと感じるのは勝手だけど、

「俺たち」って巻き込まれているのがすご〜く違和感だった😂

 

「そもそもなんでそんなことをこの人は言うんだろう?ちっとも嬉しくないのに・・・。」って。好いてくれてありがとう、ではあるけれど。

 

 



猫も温かいのが大好き!

 

 

 

今も時々、似たような感覚になることがある。

 

それは誰かから一方的に「あなたに伝えたい‼️」というエネルギーで来られた時。

 

正直私はこのコミニケーションが、とっても苦手だ。

 

 

 

 

 

相手に何かを伝えるということは、相手がそれを聞くということ。

 

相手にLINEを送るということは、相手がそれを読むということ。

 

基本的には、そういうことになる。

 

それは相手にとっての大事な大事な時間、エネルギー、人生の一部。

 

 

 

 

 

そこに思いを馳せられる自分で在りたいんだよね。

 

これは相手に気を遣いまくる!みたいなことじゃなくて、、、そしてそれはただの妄想。

 

相手のことを慮るというのは、汲み取り力なんだ。すでにそこからコミニケーションが始まっている。

 


うちの猫は抱っこも好き。

 

 

 

 

もちろん先立つものは「自分」であることは絶対に大事。

 

まずは自分の本音を知ること。

 

そこで相手にこれを伝えたいな、という気持ちがあることを自分が認めるというのも、そのひとつ。

 

 

 

 

じゃあそれを相手にぶつけるのか?

 

ぶつけるも自由。ぶつけないも自由。

 

全ての与えられた自由の中で私は、《相手が在る》というスタート地点から必ずコミニケーションを始めていきたい。

 

 

 

 

 

ひとりごとにどれだけ時間を割いてもいい。私の肉体を私がどう使うかは自分の領域だから。

 

しかし《相手が在る》ことは、相手の領域を大切に尊重したいという願いが生まれる。

 

「披露する」と「育み合う」は、全然違うんだよね。

 

 

 

 

じゃあそういう人達に変わることを求めるかといえば、そうではない。

 

そういう人達にだって好みも自由もあるのだから!

 

ただ私は大抵そういうコミニケーションのステージからは、そっと降りることにしている。

 

一方的な言葉を受け取らない距離に移動するとか、反応しないとか。「エネルギーを注いでくれてありがとう」「伝えてくれてありがとう」を、抱えたまま。

 

 

 

 

 

私は育み合いのコミニケーションが好きだな♡