映画「君たちはどう生きるか」観て来ました!

 

 



 

 

 

実は私が中2の長男に唯一プレゼントしたことのある本が、吉野源三郎さんの「君たちはどう生きるか」でした。

 

何となくこれは彼にあげたいなぁ〜と思ってあげたんだよね。

 

 


ちょっとお借りして・・・

 

 

 

映画を観た方は分かると思うんだけど、序盤で主人公の母さんが眞人に贈った一冊がこの本だったというセレンディピティから始まり爆笑

 

眞人の見た目も性格も長男にそっくり過ぎて、もう終始息子に見えてしまった。(終わってから一緒に行った友達にそれを言ったら、息子をよく知る友達も「さっくんにしか見えなかった!!」と。笑)

 

 

 

 

 

 

そんな余談はさておき、久しぶりに観た映画だったけど、感じる事が沢山あったなぁ〜。

 

そして映画自体も“感じて観る映画”だったという印象。

 

後年の宮崎駿監督の作品ってそうだよね。昔のものよりストーリー性は薄れ、一見「ん?どういうこと?」という展開なんだけど・・・理解して観るというよりかは感じて観る映画だな。

 

 

 

 

 

今朝起きて、早速映画ノートしました♡♡

 

 

 

 

 

私がこの映画から受け取ったものの一つが、死生観だった。

(ここから先ネタバレするので読みたくない方は先に映画を観てね!)

 

 

 

 

 

眞人の母親は火事で死んでしまうんだけど、

 

時空を超えて再開した母に眞人が「そっちに戻ったら母さんまた火事で死んじゃうよ!」って言うシーンがあるんです。

 

 

 

 

 

その時母さんは「火は良いものだよニコニコ」って言って躊躇なく、火事で死ぬ前の世界に戻っていくんですね。

 

 

 

 

 

 

私自身どーーーーうしても「死は不幸」と感じられなくて、今ではそれが真理なのだということもハッキリと分かるんだけど。

 

 

 

 

 

 

話は飛ぶけど、私の大好きな一冊の本に星野道夫さんという写真家さんの「旅する木」とう本があってね。アラスカの大自然の中で暮らした星野道夫さん、最後は熊に襲われて死んでいるんだよね。

 

でも、どーーーーーうしてもこの死の話も、一種の“喜び”を感じずには居られないんです!!

 

 

 

 

 

当たり前だけど、その当時のことを知りたくて色々と調べると「悲劇!悲惨な事故!」として書かれている文献ばかりで。実際にある側面では(人間的な経験と体感では)その通りだったかもしれない。

 

でも、絶対にその側面だけでは無いなぁ〜と感じるんです。根拠以上に。

 

 

 

 

アラスカの大地に還って行ったこと。淘汰。

 

これは人間的には「死」なんだけど、より大きな視点で見ると「循環」なんだ。

 

 



 

 

 

 

そしてやっぱり熊を含めたアラスカの大自然を愛した人だからこそその場所で還るって、人知を超えて喜びなんじゃないかな〜〜って、長年考察していたのです。笑

 

それが今回の母さんの台詞で「やっぱり‼️」って思ったんだよね。

 

 

 

 

 

幼い頃の母さんは火の使い手、ヒミ様で。素材で言えばまさに火の質炎という感じ。

 

偶然私も火の質が強い素材なのでより共感したんだけど、

 

火の質の人間は火に還る時、もしかしたらとっても気持ち良いのかもしれないね♡

 

 

 

 

 

そんな感じがするんです。もちろん人として燃えたり焼かれたりするのは苦しそうで嫌ですが・・・。

 

でもそんな苦しみもいっ時のもので、超えてしまえば「解放」なんですよね。重たい肉体を脱ぎ捨てて元いた世界に戻っていく。

 

 

 

 

 

こういうのって幻想のように捉えられるかもしれないけど、

全部全部感覚で知っていることなんです。

 

 

 

 

だから、正しい死生観というのは感じて学ぶものだと思ってる。感情レベルではなく“魂が喜ぶ感覚”というので分かるしかないんだよね、人間は。

 

 

 

 

 

実は少し前にブログにも書いた親猫に捨てられた子猫を保護した時、すぐ近くには親猫と残りの子猫三匹が暮らしていたんです。なんなら今もいるんだけど、ある日そのうちの一匹が死んだ。

 

おそらく死に方からして、カラスに殺られたんだと思う。

 

それを目の当たりにしたのも私で、敷地内の血を洗い流したり、業者を呼んで遺体を引き取ってもらったりした。

 

 

 

 

 

ずっと見守ってきた子猫達だったし、猫の母親も2日間くらいは必死て探していて悲しかった。

 

悲しかったけど、全然哀れでは無かったにっこり

 

 

 

 

 

 

「死」と「生」は対等。

 

映画でも“わらわら”という人間の素(おそらく魂)がいっぱい出てきて、それが人間になるために地上に上がっていく途中でほとんどペリカンに食べられてしまうんです。

 

そのペリカンも人に焼かれて死に絶えるんだけど、死に際に「私達ペリカンはわらわらを食べるためだけに神にこの世界に連れて来られた」みたいなことを言うんだよね。「ここは呪われた世界だ」って。

 

 

 

 

 

子猫の死と繋がった。

 

子猫達が死んだ時、うちの子供達が「カラスを絶対に許さない‼️」ってとっても怒っていたんです。その気持ちは痛いほど分かった。

 

そしてこれこそが、ペリカン改め人間の生み出す「呪われた世界」だ♡

 

それが良い悪いの話では無い。「呪われた世界」を経由するのは物質界においては仕方の無いことだし、素晴らしい現在地なのだとすら思う!!

 

 

 

 

 

でも本質は、全ての事象はフラットなのだ。「死」と「生」は対等なのだ。

 

子猫を殺すために、カラスが与えられている。

 

なんだけど、もっとフラットな感じがする言い方をするのなら子猫の死のためにカラスが与えられている。

 

そしてまたモグラや虫の死のために猫が与えられている。

 

 

 

 

 

 

その事実を淡々と引き受けることが、正しい「死生観を持つ」ということ。

 

 

 

 

 

これまた狙ったようにすごいタイミングなんだけど・・・実は今度8月4日に、死生観のお話会をやろう!と決めていました。「私の死生観を聴いてみたいです!」というリクエストを頂いていたのです♡

 

 

 

 

 

私は思考よりは感覚が力を持っているタイプで、思考ではもちろんごく当たり前に「死は辛いしあまり良いものでは無いな」という概念は持っていたんだけど、感覚値では幼少期から「死は死んだ大切な人を身近に感じて嬉しい」という無視出来ない感覚を持って生きてきました。

 

それが何にどう繋がるかというと、生きている今の「在り方」なんですよね。

 

 

 

 

 

極端に聞こえるかもしれないけど事実、「死生観」をおざなりにするが故に全ての「在り方」が

 

死なないための選択

 

に、なっていたりします。

 

 

 

 

 

 

健康づくりも、

お金を稼ぐことも、

子育ても・・・

 

あらゆることが「死なないように!」がベースになっているの爆笑

 

こうなっている人ほど自覚していないもので、頭では「いえいえ私は死を不幸だなんて思っていないし、自分できちんと選択しています物申す」と思いがちです。

 

 

 

 

 

それでもいいんだけどさ・・・

 

今一度、自分自身の「死生観」をきちんと見直してみませんか?自分のために現在地を再確認しようよ♡

 

超大事な、全ての根幹となる「死生観」を!!!

 

というのが、今回のお話会の趣旨です♡♡

 

 

 

 

 

 

二極では無い、恐怖ベースでは無い「本当に自由な在り方」を、感じてもらうのがこのお話会の趣旨ですびっくりマーク

 

私の体現からお伝えしていくよ♡

 

詳細・お申し込みはこちらのブログからどうぞ↓

 

 

昨日の映画を観てより強く感じた。「人間」としてどう生きるかは、どんな死生観で生きるかということなんだ。

 

映画の中に出てくる“大叔父様”は、悪意の無い世界を創造しようとしてきた。眞人はその創造主を継承することが出来たけど、断りました。

 

そして元いた世界(地球)に帰って行く。

 

それは眞人の一連のプロセスで、自分自身の創造力(=僕はどう生きるか)を思い出したからなんじゃないかな?と感じました。

 

 

 

 

 

悪意すら在っていい。

死すら在っていい。

全ては「僕はどう生きるか」次第。

 

やっぱりそれが、この世界の本質だ♡