私は昔から、本当によく人や世間に対して「何でそうなの!?!?」と思いながら生きてきた。

 

だから、結構生きにくかった😂

 

 

 

 

 

今はその理由が分かってて、それは私の「素材」が0か100かだったから。

 

ホロスコープが分かる人なら、太陽射手座と言えば分かってもらいやすいかな?

 

 

 


この前お友達と行ったご近所の素敵なcafe✨

 

 

そういう性質なもんで、他人や世の中が「ま、いっか。」「どっちでもいい。」「そこそこでいいよね〜。」という在り方で居ることが、ほんっとうに理解出来なかったのです😭‼️

 

 

 

 

 

いつでも自分の願いをしっかりと自覚していたい。

 

これは、そこそこの“違うこと”に自分の体力も時間もエネルギーも・・・つまり「人生」を微塵も使いたくないから🔥

 

これ!と決めたら100%・・・いや、130%出し尽くしたい。

 

出し尽くせないこと、途中で折れること、余力を残したままになってしまうことが何より苦手。辞めるにしても全力で辞めにかかるので、“なんとなくフェードアウト”することはまず無い🔥

 

 

 

 

 

昔はこの「素材」を素材とも知らずに多方面で横行していたのですが、その一つが「やらない人が許せない!」だった。

 

 

 

 

 

 

“女性性開花”や“設定変更”といった在り方を知ってからも、

 

女性性の声が聴こえたら男性性を全力で使えよ‼️

 

と、ごく自然に自分自身がそう在れるから、そうじゃない人達のことが信じられなかった。

 

 

 

 

 

 

例えば「自分の声を聴くことを大切にしたいと女性性で感じて、ノートを書く決めた。」のに、「ノート書きたいけど時間が無くてさ〜」という言動や、やらない在り方が不快だった。

 

 

 

 

 

なぜなら私自身が、そう決めた日から約10年間毎日出来る限り全力でそれを叶え続けてきたから。ノートが書けない日でも、開けたページに日付けスタンプを押すことで「簡単に、やれた♡」とする工夫を凝らしてやって来たから。

 

 

 

 

 

いつもその土台に“女性性の声”があることなら、その声(願い)が変わるその日まで、何がなんでも130%の力を出し切れたから。

 

 

 

 

 

 

こう書くとめちゃくちゃ苦しい「血が滲む努力」をしているような感じがすると思うのですが😂

 

何度も書くけど“女性性の声”起点であることに限り、やっぱり自分の願いなので苦しむことなく、尚且つ『130%出す』ということは素材としてごくごく自然に簡単に楽しんでやれちゃうことだから全く苦しく無いんですよね。

 

 

 

 

 

 

自分がそうだから、それ以外がどーーーうしても信じられなかったんです。

 

 

 


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それでね、昔はそれが「相手への攻撃」になってしまっていたんです。

 

何でそうなの!?そんなのって、絶対におかしい!!!

 

という心の声が標準装備だったレベルで。(嫌な奴😂)それで当たり前だけど、人とぶつかることも多かったです。

 

 

 

 

 

 

しかしここ数年は自分に集中するようになったので、「相手への攻撃」から「自分の糧」に方向性がどんどん変わってきた。そうしているうちに、“その他がおかしい”のではなく

 

0か100かが私の素材なのだ

 

ということに、よーーーーーーうやく気がつきました♡

 

 

 

 

 

 

もちろん私と似た素材の人も沢山いると思う。でもこれまで生きてきた体感としてはそんなに多くなくて、やっぱり周りの人達にも世間にも「ま、いっか。」は溢れているなぁ〜という印象があります。

 

でも、そういう人達はそういう素材なのだ。

 

このごくごく当たり前のことが、ようやくきちんと腑に落ちた。

 

 

 

 

 

ようやくそれを許せた時、自分自身が他人からも世間からも、ずっとずっと許されてきたことに気がついたんだよね。😭

 

 


勢揃いも可愛い♡🍊

 

 

 

 

私にとっての当たり前は、誰かにとっての「信じられない」だったんだ。

 

でもそれを、許してくれた人がいっぱい居たから自由に好き勝手やってこれたんだ。130%出し尽くしてこれたんだ!!!

 

 

 

 

 

 

例えば身近な存在の実家の家族は、よくよく考えてみたら皆んな私とは違う素材の持ち主達!

 

それでも、子供の頃から「好き・嫌い」「やりたい・やりたくない」が超〜〜ハッキリしてる私を許し、応援までし続けてくれた。

 

 

 

 

 

 

お友達だってそうだ。学生時代常に周りに誰かしら友達が居たけど、遊びも行事も本気‼️という私がトラブルメーカーになってしまうことも、しょっちゅうあった気がする・・・。でも、そういう時も必ず許してもらえてた。「また遊ぼう!」って仲間に入れてくれた。

 

 

 

 

 

 

学生時代の行事でも「絶対にダンスはこれがいい!」「文化祭ではこの役が欲しい!」っていつもこだわりが強かったんだけど、受け入れて一緒に叶えてもらった機会が、いっぱいあったなぁ〜。

 

「どれでもいいよ!」

「どっちでもいいよ♡」

と言える皆んなが、助けてくれたんだよね。

 

 

 

 

 

 

 

“誰かの反対側”だったかもしれない私は、“反対側の誰か”から許され、愛されて生きてきたんだった。

 

 

 

 

 

 

 

もう二度と、自分とは違う素材の人のことを「許せない!」と思うことは無いだろう。違和感は必ず、相手への攻撃ではなく自分自身の糧にするだろう♡

 

そんな「愛」の世界で生きていきたい。これは本当に大きな気づきでした✨✨