叔父が亡くなった。



今年米寿を迎えて

お祝いにマグカップとお箸を買ったのに

おかしいことに

どこを探してもなくなってて

結局渡せずじまい。



叔父が施設に入ったのは数年前。

料理もできるし、杖もなく歩ける。

まだまだ元気だったけど

一人暮らしで

たまに風呂で気を失ったりして

あぶなっかしいので入居を決めたらしい。



でも、その直後にコロナが流行り出して。

ほんとは、入居しても

自由に外出したり

家にもちょくちょく帰ったりできるはずだったけど

蓋を開けてみたらいろんな制限だらけで



叔父はよく、

「こりゃ座敷牢じゃ」

と漏らしていた。



コロナが猛烈に警戒されていた時は

訪問しても直接は会えず

ガラス越しに手を合わせて

「セカチューごっこ」をしたこともあった。




この間の春休みに訪問した時は

見るなり、痩せたなぁ〜と言っちゃうくらい

身体が細くなっていた。



でも、相変わらず

ゆっくりとはいえ

杖もなく、自分の足で歩いて

満面の笑みで私たちを迎えてくれた。



おみやげも直接渡せたし

別れ際には、私たち独特の“握手”もできて

それが救いだったかな。



あの時はなんの疑いもなく

「また夏休みに来るからね!」

って言ったのに。




あれが、最後かぁ。




ひと月ほど前に体調を崩して

入院したことは聞いていた。



でも、私の入院の予定や

コロナにかかったりもあって

なかなか気にすることもできずにいた。



でも、ここのところは

なんだか叔父のことが気になって

様子を尋ねたりしていた。



あと一回、会いたいなぁ

と、自分から出てくるたびに

あと一回だなんて、

あと一回でいいって言ってるみたいって、

戸惑っては、自分で打ち消していた。



数日前、叔父が発熱して

あまり良くないと聞いてからは

回復してほしいと心から願いながら

どこかで、

もう叔父にはあんまり無理させられないのかな…

という気もしていた。



あとは、祈るように

夏に会おうよ!

って呼びかけてたけど、

叶わなかった。






父とはあまり絆を結べなかった私は

むしろ叔父の方が話しやすいくらいだった。

保育園の頃は、土曜日になると

毎週のように母とバスに乗って

祖母と叔父と叔母のいるうちへ泊まりに行っていた。



小学生になったら

叔父はよく

夏休みに私を東京に連れて行ってくれた。



オープンしたてのディズニーランドに

初めて行ったのも

叔父と一緒だった。



多感な時には

戦前生まれの叔父の

衛生に無頓着なところが嫌だったり

一向に受験に身が入らない私を見かねて

厳しいことを言われて

腹が立った時もあったけど



叔父は、いつも私を愛してくれた。

ちょっと複雑な両親の

関係性の中で育った私が

愛されることを知り

曲がらずに成長できたのも

叔父、叔母、祖母の愛があったからだと思っている。






20数年前に祖母が亡くなり

3年前に叔母が亡くなり

とうとう、叔父もあちらの世界に旅立つ。




先ほど知らせを聞いて

少しの涙が出たあとはもう

「ありがとう!」

の言葉しか出ない。




数年前、叔父が嚥下障害で

食べられなくなって

どんどん痩せて

もしかしたらこのまま

弱ってしまうかもしれないと思った時は

とても受け入れられなくて



必死に

嚥下回復の術を遠隔で送ったりしてた。笑

そしたら、ほんとにその後少し回復して

また大好きな麺類も食べられるようになった

って聞いた時は嬉しかったな。




あれから数年、

お別れを受け入れられない、

取り乱してしまう私はもういない。




“死” に対する概念が

ずいぶん変わったこともあるし

今回は、抗えない “なにか” を感じていた。

叔父が決めた、「そのとき」だと

感じたのかもしれない。






それでも、もう生きては

会えないのかぁ。






寂しい!!




もう一回

会いたかった!!!




今日、子どもたちが学校から帰ったら

実家に出発します。





顔見たら

ぜったいめっちゃ泣いちゃう





ちゃんと、しっかり、

お別れしてくるね。