こんばんは。
まいまいです。

父の七回忌で帰省していました。


七回忌なんて、なんだか区切りだし、
きっといろんな想いが溢れてくると思っ…


たら、なーんもなかった(笑)


お坊さんがお経をあげている間、
足ブラブラさせたり
あからさまにため息ついたりする
KY男子を睨みつけるのに忙しくて終わった…




⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ ⋱⋰ 



それは、急ーーにくる。
音楽爆音でかけて歌いながら運転してる時とか
何かの拍子に、急に父を思い出して
ボロボロ泣けてくる。
それもけっこうな頻度で。
はっきり言って危険です( ・`ω・´)


私が小さかった頃、
父は仕事が忙しく、私が起きてるような時間には
まず帰ってこなかった。
両親共働きだったので、
私が病気とかするとすぐ
母方のおばあちゃんちに預けられたし、
ただでさえ、週末は毎週のように
おばあちゃんちで過ごしていた。
だから、幼少の頃の父との思い出はほとんどない。


小学校に上がって、毎週はおばあちゃんちに
行かなくなっても、
ベタベタの母子関係の脇に、
これといって印象のない父の姿が
ぼんやりとあるだけだった。

父とはあまり会話はなかったし、
あったとしても、なんだか恥ずかしくて
他人みたいだった。

学生の頃は、どちらかというと
煙草を吸う父のことを
うっとおしく思っていたくらいだった。


やがて私も大人になり
結婚して、出産して、
父にも孫が二人できると
私が子どものときと違って
時間にも気持ちにも余裕のある父は
子どもたちをとても可愛がってくれた。


孫を介して会話も少しずつ増えて
さあ、これから少しずつ
父との空白を埋めていく時が来たのかな、
と思っていた時、
父の肺癌が見つかった。


冬に見つかったときにはもうずいぶん進行してて
医師には、「桜の散る頃には…」
なんて言われてたけど、
結局2年くらい頑張って生きて、
6年前に、父は亡くなった。


父が最後に闘病していた頃は
私は鬱から躁転していて、
週末は子どもたちを連れて
毎週のように帰省して、父を見舞った。


そんな中でも
父を失うかもしれないという実感がなく
どこかで、このまま亡くなるのは仕方ないと
思っていたのかもしれない。
そして、もう亡くなる2週間前くらいになって
急に、このまま死ぬなんて嫌だ!と思って
奇跡を願って、民間療法を試してみたり
足のマッサージなんかをしてみたりしたけど、
結局父は、私たちが自宅にいた平日の夜中の3時に、
一人で息を引き取った。
看護師さんが、最期は苦しまずに逝かれましたよ
と言ってくれた。


それは救いだったけど、
同時に、奇跡なんか起きないんだなと思った。


その時も涙は出たし、
お葬式でもたくさん泣いて送り出したけど、
いまだに、いつの時点かでちゃんと悲しめたんだろうか
と思う。


父は、日記とか手記とか、
とにかく書いて残す人だったので、
いつかそれを読んで、
父がどんな人だったのか知れるかもしれないと
思っているうちに、
父が書いたものは、すべて捨てられていた。
そのうち、山のように所蔵していた本やレコード、
写真が好きだった父が愛用していたカメラなど、
父を偲ぶ物は、いつのまにか実家から消えていた。


捨てられる前に、少しでも自分の手元に
残しておけばよかったと、すごく後悔もしたけど、
身辺整理なんてまったくせず、
大量の物を残して死んだ父と、
その家に一人で暮らす母の気持ちを考えたら、
母を責める気にはならなかった。


だからもう、父を知る手がかりは何もない。
母には目に見える優しさを示さなかった父だったけど、
私には、すごく甘かった。
関係は薄かったけど、
愛されていたんだろうなという実感はある。


でも、今ただ心に浮かぶのは
もっと父といろんな話がしたかった
博学だった父にもっといろんなことを教わりたかった
もっとたくさんの時間を一緒にすごしたかった
もっと仲良くなりたかった!


感傷だと思います。
死んだ人ってずるくて、
やっぱりすごく美化される。


誰よりも自分のためにお金を使って
趣味も多くやりたい放題やって
家族に副流煙吸わせて
ロクでもない父だったのに、
父のことそんなに好きだったこともなかったくせに、


亡くなったあとは
ただただ恋しい恋しい父です。




この気持ちは、
いつか乗り越えることもなく
薄れて忘れることもあるかもしれないし
ないかもしれないし。


それでいいと思っています。
ただ、流れのままに。