私の、小学生・高学年時代(5-6年生) | カズ2998のブログ

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自己紹介:既婚の、普通のオジサンです。ASD関係や闘病記関係をフォローさせてもらってます。
・人のブログを読むだけでは覗き見っぽくて恐縮なので、ここでは、ASDグレー系な性格の自分の半生記や持病の喘息関係などを、自己紹介替わりにポツポツとアップしてます。

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ASD(アスペ)グレーゾーンな私(60才過ぎ)の、主にメンタル面からみた半生記を、書いています。

 

今日は、前回の小学3-4年生時のことに続いて、小学5-6年生の頃のことを、思い出しながら書いてみます。

 

 

1)健康面;3年生の夏休み明け(2学期)から、それまでも時々でていた喘息の症状が急に悪化し、学校には月の半分くらいしか行けない状態となった。(~4年生の2学期末まで続く、自宅療養期)。

 さらに、4年生の12月からは、隣の県にある大学病院に入院することになった(6年生の2学期末まで、トータル 約2年間、入院期)。

 (喘息のことについては、別途書く予定なので、この程度にしておきます)

 

2)メンタル面;前半の自宅療養期は、ともかく喘息の発作(増悪)が苦しくてたまらなかった。夜に増悪することが多く、眠いのに息が苦しくて寝れない状態が毎日、食事をすると咳がでて吐いてしまうので、ガリガリに痩せていた。

4年生頃だと思うが、「こんなに苦しい毎日を送るのなら、さっさと死んであの世で楽になれたらいいな」と、初めて「死」、「自死」を意識した。

 

 後半の大学病院での入院生活期では、おそらくステロイド剤の増量により、喘息はやや軽くなったが、一方で親元から離れての、子供だけでの集団生活で人間関係が大変だった。

看護師、医師も含め、まわりに頼れる人もおらず、子供集団のなかでイジメや変な上下関係ができたりして気が抜けず、さらに退院の見込みもサッパリつかない状況で、どんどんと心がすさんで行った。

 「屋上からとびおりたら楽になれるのにな」など、自死は常に頭の中にあった。

 

 

3)友人、対人コミュニケーション関係

 ・前半の自宅療養期は、ともかく小学校には月の半分はいけてなかったし、登校しても、運動はおろか、友人と遊ぶのもできず、結局友人らしい友人関係はなかった。

 

・後半の入院生活期は、さらに状況は悪化し、頼みの親もいない状況で、いじめやら変な上下関係やらのある閉塞的状況。自分がいじめられないように必死に立ち振る舞うのみで、ほとほと他人が嫌になった。

 また、月に2回、面会にくる両親に対しても、徐々に心を閉ざしていった。

 

 

何回も、喘息の症状悪化で死ぬ一歩手前までの状態に至るなど、身体的にも非常に苦しい思いをした上に、上記のように親も友人もおらず、まわりは敵ばかりのような、まるでアウシュビッツ収容所のような絶望的状況が続いたのが、この時期。

その中で、人間への不信感や、人生への絶望感が自然とできていったような気がする。

 

 

だらだらした長い文章ですみません。読んで頂いてありがとうございました。