失恋をきっかけに
「自分を自分で幸せにするんだ」と決めてから
私はずっと孤軍奮闘。
1人で戦っていたのかもしれない。
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自分と本気で向き合うまでは、
女性性も男性性も、ナヨナヨで。
何かを続けるのが苦手だったし
幸せをずっと探していたし
弱い自分を克服しようと、
ないものねだりばかりしていた気がする。
自分の感情もうまくコントロールできなくて
超ヒステリックな女だったし
どこに地雷があるのか、自分でも分からず
感情に振り回されることも多かった。
彼にやってもらっていることに感謝できず
「まだまだ足りない」「もっと」って
不服や不満を常に彼にぶつけていた気がする。
今思えば、別れ話が出るのも当然だった。
そんな状況から一変
「自分で自分を幸せにする」と
決めてから…
自分では気づいていなかったけど
・もうそんな簡単に人には頼らない
・弱音をはかない(甘えない)
・誰かに相談する前に
まず自分で答えを見つける努力をする
・一旦は自分でどうにかしてみる
そんなことも同時に
心に誓っていたのかもしれない。
おかげで、
💎自分軸も自己愛も育めたし
💎幸せの状態が当たり前になったし
💎私って愛に溢れるいい女なんだって
本質にも気づけたり
💎何か素晴らしいことができるから
価値があるんじゃなくて
そもそも私の存在が価値だったんだ
って、大事なことも思い出せた。
愛に飢えている女というセルフイメージから
愛が湧いている女にも変化した。
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▷ 多幸感の秘密は、存在との一致度。何者かになるよりも、 私で在る。
でもどうしても、弱音が吐けなくて。
どうしようもないナヨナヨな自分から
強く在る女へシフトしてきたから…
弱さを出すことが、
とてつもなく怖くなってしまったのだ。
過去の完璧主義の心の癖も相まって。
🥺人の相談は聞けるけど、人に相談できない。
🥺結論に至った話はできるけど、
途中の中途半端な話はできない。
🥺本音を話したくても、
言葉につまって上手く話せない。
そんな状況がずっとあった。
強く在る状態でできた人間関係の中で
弱さを見せることが、ずっとできなかった。
あまりにも「強い」ことに価値を置きすぎて
「弱い」一面にジャッジをしていた。
だけど、ふと
"弱い"ってそんなに悪いことなのかな?
"弱さ"を認める強さもあるんじゃないかな?
むしろ"弱さ"を隠し続けるって
本質的には強くないし
"弱さ"をジャッジし続ける方が
精神的にはものすごく弱いよな…
って視点が変わった。
弱さを持っていない人なんていないし
10年前以上に目にした
「人は長所で尊敬され、短所で愛される」という言葉も、この時急に思い出した。
かといっても、人間急に自分のパターンを
180度変えるほど強くない。
やっぱり防衛本能として
「嫌われたくない」「愛されたい」
「安心安全がいい」という
制御が出て、心にブレーキがかかるから。
だけど、もう頑張ることに疲れちゃったから。
今までと違うパターンをやってみようって、
勇気が湧いてきた。
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いきなり、超身近な人に弱音を吐くのは
恥さらしのようで、抵抗がでたから…
まずは、
ちょうどいい距離感のネイルのお姉さん。
次に、どう思われてもいい男友達。
そんなふうに、もし仮に
嫌われたり、拒絶されたとしても
自分の心が傷つかない人に
「弱音が吐けない」「辛い」って話してみた。
そしたら案外世界が優しくて。
強い自分ばっかりが価値で、
本来の自分だってと思っちゃってたけど
弱い一面も出しても大丈夫だったって、
ちっちゃな成功体験が生まれた。
私たちはしばしば自分の頭の中で
妄想して答えを出しがちだけど
案外、行動してみると
思っていた答えとは違うものがやってくる。
頭の中って、
防衛本能でいろんなことを制御しがちだから
自分を抑圧する思考でいっぱいになりがち。
でも…頭の声を一旦無視して、
ハートの声(本音)に従って行動してみると
愛にたどり着ける。
頭の声の中(恐れ)の中では見えない
人の優しさという絶景を、目の当たりにできる。
そんなちっちゃな成功体験を積み重ねた私は
ついに昨日
大事なお友達に、弱音を吐くことに成功した。
「実は昨日こんなことがあって、
そこで泣いちゃって」とか
「本当はどうしようもなく辛くて」とか
話している時に涙溢れちゃうし
お友達からの言葉にまた泣いちゃうし
とてつもなくみっともない姿だったし
わざわざ人に言わなくていいことを話したし
昔の私なら
こんな中途半端な姿、見せられなかった。
だけど、ようやく
私であれた感覚もあって。
私のまんま人と繋がれた居心地の良さもあって。
ようやく等身大の私で飾らずにいられた。
今までも、嘘はなかったけど
核心的な、心丸裸な話は
なかなか人にできなかったから。
ずっと孤軍奮闘、
一人で戦ってきたような人生だったけど
ようやく、自分を開いて、
無防備な状態で人と関われた。
無防備って怖いんですよ。
傷つくリスクしかないから。
だから自分に対するジャッジを
ものすごく抱えていると
人と接する時に、
いい人仮面を被ったり、完璧ぶったり。
心丸裸にせず、心の扉は閉めたまんま、
上辺の付き合いをしてしまう。
だけど、私たちは
本能で「繋がりたい」
「分かち合いたい」欲求を
持っているから
自分と繋がれていないと、心は枯れるし
自分と繋がれていても、
世界との繋がりがなければどこかで枯渇する。
私は昨日、きっと半年前だったら
みっともなさすぎて見せられない姿を
大切な友人に見せられて
心は満ち満ちに潤った。
どうしてもね、大好きすぎる人にこそ
嫌われたくなくて…
本来の自分を隠してしまいがち。
でも一歩踏み出して、
また1段深く自分の内側を成熟できたことが
とても嬉しい。
そして何より嬉しかったのは・・・
私が勇気を出した先には
ちゃんと愛があったこと。
世界は想像以上に、優しかった。
本音で人と繋がることが怖い時
きっと自分の容姿や内面に対する批判を
無意識でたくさん抱えている。
そのまま
自分の心を他人に開くなんて怖いから。
そんな時はまずは自分に
自分の心を開いてみて。
人と繋がるのは、後からでいい。
まずは世界にたった一人の自分と
深く繋がる試みをしてみて。
自分と深く繋がった後に
自然と自分を世界に開きたくなる
そんなタイミングがやってくるから。
まずは、自分との信頼関係。
自分に対する信頼が育まれたら
ちょっと怖いなと感じることにも
勇気を出して一歩踏み出せるから。
私も昨日、
長かった
「1人で頑張る女」から
本来の
「感受性豊かな女」へ。
また一歩、近づけた気がした。
今日もあなたがあなたで在れますように。
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