クラウス・マケラ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(11月16日・ミューザ川崎) | ベイのコンサート日記

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音楽評論家、長谷川京介のブログです。クラシックのコンサートやオペラなどの感想をつづっています。


R. シュトラウス《ドン・ファン》では、マケラの若さと俊敏な感性が弾ける演奏となった。切れ味の良い運動性が作品の勢いを引き出した一方、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団(RCO)の音色が2年前ルイージ指揮で聴いた豊かで奥行きのある柔らかな響きから、引き締まった鋭角的なサウンドへと変貌していたことは意外である。

 

奏者の個々の音楽性は圧倒的で、とりわけドン・ファンが巡り会う第二の女性を象徴するオーボエ独奏(アレクセイ・オグリンチュクAlexei Ogrintchouk)は、単なる艶やかさにとどまらず、情景が立ち現れるかのような多層的な表情を包摂していた点に、このオーケストラの凄みが示されていた。続くホルンセクションの強奏は、厚み・広がり・和声的層の豊かさが揃い、金管の実力の高さを堂々と誇示した。

マケラの若さはコーダにおける休止の間のタイミングの早さにも表れていた。終結において、ドン・ファンの破滅へと向かう陰影の深さ、死の重みが十分に沈潜しなかった点は惜しまれる。

 

後半のマーラー《交響曲第5番》では、マケラがRCOの美質を余すところなく解き放ち、豪奢に輝く音響世界を築き上げた。比喩的に言えば、完成したばかりの最上級ホテルの最上階にある広大なスイート・ルームを丸ごと占有し、時間の流れさえ忘れて滞在するかのような、極上の豊穣感と陶酔を伴う体験へと聴衆を導いた演奏であった。
どこまでも明晰で磨き抜かれ、洗練の極みに達した音色が全編にわたり保たれ、マーラーが幸福の只中にあった時期に書いた作品のポジティブな相貌を存分に引き出していた。その響きは徹底して美を追求し、どこまでも輝かしく、高揚と幸福感に満ちていた。

 

第1楽章〈葬送行進曲〉冒頭のトランペット(オマール・トマソーニOmar Tomasoni お詫び:ミロ・ペトコフ:Miro Petkovは間違いでした)は、わずかに翳りを帯びた深みのある音色で、作品の情感にふさわしい重みと陰影を刻んだ。

続くヴァイオリンとチェロによる第1主題の提示は、RCOの最大の美点を象徴する場面である。マケラはじっくりとしたテンポで進めた。

前回感じた「ヴァイオリンはシルクの肌触り、低弦は柔らかく、チェロは分厚く品格を宿し、コントラバスは全体を抱擁するように鳴る」という印象は、マケラの統御のもとで、より筋肉質な輪郭と輝度を帯び、いっそう精妙かつ力動的な音響へと深化していた。

主題の再現での対位法を伴う弦の厚みと美しさは世界最高のオーケストラのひとつであることを示す。

 

「情熱的に荒々しく」と指示された激しい場面も音響に濁りがない点も素晴らしい。

第1部の再現の終わりのティンパニ(安藤智洋)の深みのある葬送の動機に続く第2トリオの弦のひそやかな響きにも魅了された。

 

第2楽章〈嵐のような激しさで、きわめて激烈に〉
冒頭の第1主題で示された低弦の厚み、さらに速度を落とした第2主題におけるチェロのひそやかな歌い回しはいずれも深い感興を湛えていた。展開部において再びチェロが提示する同主題も印象的だが、ここで特筆すべきはティンパニの安藤智洋によるトレモロの異例の表情豊かさと深い陰影である。近年の聴いた中で、ひときわ記憶に残るティンパニの音色であった。

安藤はアーネム・フィルの首席を経て、2017年に師であるマリヌス・コムストの後継者としてRCOのソロ・ティンパニ奏者に任命された。同団では長年にわたり、膜に天然皮革を用いることが多く、音程調整にも手作業を含む伝統的手法が受け継がれてきたとされる。こうした歴史的音響観と演奏家の探究心の交差が、今回の演奏における独自の音色表現を支えていたと推察される。


ティンパニとチェロの深い音色には、メンゲルベルク時代から培われたRCOのマーラー演奏の伝統の音が感じられた。

 

第3楽章〈スケルツォ〉では、2年前、ルイージ指揮によるウェーバー《オベロン》序曲での驚異的なソロ以来、その才能を広く印象づけた若き首席ホルン奏者 ケイティ・ウーリー(Katy Woolley) の実力が、ここでも遺憾なく示された。イングランド南西部エクセターの出身で、ロンドン王立音楽大学を首席で卒業後、わずか22歳でフィルハーモニア管弦楽団の首席を務め、2019年よりコンセルトヘボウ管弦楽団の首席に就任している。
幾度となく登場するホルンのソロは、ただ雄大なだけではなく、フレージングの細部にまで神経が行き届き、響きにも柔らかな芯が保たれていた。その滑らかな歌わせ方は、ベルカント・オペラを思わせるような自然な歌心に満ちていた。

 

第4楽章〈アダージェット〉
このアダージェットは、私がこれまでに接した中でも最も美しい演奏であった。
求心力のある感情表出よりも、むしろ響きそのものの絶対的純度と美を追求する姿勢が前面に打ち出され、音楽は過剰な情緒をつくろうことなく、無垢なロマンティシズムの極点に到達していた。いわば、感情を語らずしてロマンを成立させるという逆説的美学が働いていたと言える。第1ヴァイオリンだけではなく、第2ヴァイオリンの音も品格があり惹きつけられた。
しかし、コーダで低弦が示した比類なき厚みと深さは別格であり、そこに一瞬、感情の吐露と慰撫へと至る扉が開かれていたことを記しておきたい。

 

第5楽章〈ロンド・フィナーレ〉 は、全体が祝祭的な喜びと輝くような音響に満ちていた。各パートのソロは伸びやかで生命力に溢れ、弦と金管によるフーガも、単なる技巧的展開にとどまらず、喜悦のエネルギーが隅々まで浸透していた。
先に触れることのできなかったフルート、クラリネット、ファゴットを含む木管群についても、その表現の充実度は際立っていた。

 

191小節目のGraciosoでの弦の表情が感傷的であり、こうした微妙な翳りを打ち出すマケラの指揮あるいはRCOの懐の深さも感じた。

最後のクライマックスに向けて加速する練習番号32(711小節目)以降では、第2楽章で断片的に姿を見せたコラールが、金管群全体によって改めて輝かしく提示される。嬰ハ短調で始まった作品が、最終的に二長調の明るさへと収束してゆく過程は、2027年9月から首席指揮者に就任するマケラとRCOの将来を示唆するような躍動感に満ちていた。

終結部では金管のみならず弦も特別に美しい音色でトレモロを強奏し、歓喜の頂点で演奏を終えた。

 

 

ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

指揮:クラウス・マケラ(次期首席指揮者)

 

日時:11月16日(日)17時

会場:ミューザ川崎シンフォニーホール
 

プログラム:

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

マーラー:交響曲 第5番