夏至~天竜川をめざして。
古代女神、「アラハバキ」が祀られているという磐座で祷る。
まさにそこは磐しかなく、お社は無かった。
道路を挟んで相対する磐。
以前はその二つを結ぶように注連縄が掛けられていたという。
その前でドラムを叩かせて頂き、そのまま道路を渡り、もう一つの磐にもドラムを響かせた。
その時、確りと注連縄が張られ、二つの磐が結ばれた。
翌日、地元の方も一緒に、もう一度アラハバキ様の磐へ行くと、昨日とはうって変わって明るく清々しい風が通っていた。
アラハバキ神とクナト神、
夫婦の古代神は、共に祀られる事は少なくなり、別々の神のようにされ、知る人も語れる人も少なくなった。
今、このような世に必要で現れているように感じる。
現れて、と言うより、私達が意識を向け、その存在に気づき、知る事が、その存在の出現なのだ。
縄文時代が世界にも稀な、平和が一万年以上続いていた事は、多くの人が知るところだが、、、、
そこには自然界の精霊(神々)との繋がりが大きかった事や、族母(女神·女王)がいた事を気づく者は少ない。
その族母は、巫女でもあった。
しかし、今のような巫女ではなく、卑弥呼のような巫女王だった。
縄文時代が消されて行くように、巫女王達もまた、地位を最下位に落とされ、力を奪い、神官達は男達へと変えられた。
何故、巫女王が女性であったか?
女性には「産み出す」力が与えられ、命を繋ぐ~神聖な力。
それはとても大切なことと、男性達は理解していた。
男性が下とか、女性が上という、捉え方では無く、互いの力を、惜しみなく与えあっていた時代が、縄文時代。
女性は天や地、自然界と繋がり、大切な情報を受け取る事が、想像をはるかに上回るほどの繋がりで、受け取る事が出来たのだ。
其々の地に、古代巫女王は存在していたであろう。
今は名も消され、新たな名の神が祀られ、磐座は豪華な社へと。
人々の、特に女性達の消された記憶は悲しいかな、それを物語る。
整えられた美しい、或いは荘厳な社寺に心奪われ、何て素晴らしいエネルギーのところでしょう❗とか、龍神様が感じられます❗とか、、、、
それは全て、聖地の上に社を置いたのだから、その地のエネルギーとしては、今もまだ、放ち続けている。
目に見えるものの多くが「まやかし」と、気づけよ‼️
と、巫女王は知らせている。
この「夏至」を大切な日、時と感じるならば、思い出せよ❗
「まやかし」の祷りに、己が酔うのはやめにすることに、気づくのだ、と。
魂は知っている❗
しかし、いまだにハートが喜ぶ方へと引っ張られ、魂の声を聴けずにいる。
この世に、何しに来た?
それをまさぐり、つかむのは「まやかしの世界」では、無いはず❗
真なる世界への道は、「魂」の声と知ろう🍀
この夏至という特別な時を、
真の特別な日にされますように🙏




