平成を振り返ると | センス・オブ・ワンダーな ママ シャイニングムーン

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神秘さや不思議さに目を見張る心「センス・オブ・ワンダー」が、
いつまでも失われませんように~
地球や生命の美しさを見て、聞いて、触れて、嗅いで、
感じることの喜びを失わないで~レイチェル・カーソン

平成も最後の日を迎える今日。



時とは凄いものだと、あらためて思う。

すっかり遠いことになり、過ぎ去り、
いつのまにか癒されている。

思い起こすと、

平成元年、昭和の最後。

その時、私と娘は生涯でも一番に思えるほどの苦しみと悲しみの真っ只中にいた。

年号が変わる前に、夫の急性骨髄性白血病で入院。

2、3日の命と宣言され、奈落の底に突き落とされた思いだった。

それから最新の治療があっていたのか、2年近く生きられたが。

それは生活も、体力的精神的にもとても過酷だった。

入院中は、毎日、いつ急変するか分からないので、覚悟をしておいて下さい、と。

それは、針のむしろに座らされているようなもの。

一日たりとも、安心するときが無く、日々一刻一刻が、闘いだった。

そのな時、私の母が倒れ、旅だった。

私達には、唯一、母だけが頼りだった。

後追いを真剣に考えた。

しかし、娘一人に背負わせてはならない、と、生きることを決めた。

その翌年、夫が旅だった。

その時が丁度、平成元年だったけど、
そんなことなど気にする余裕などなかった。

母と夫の葬儀やら三回忌やら、3年近くはバタバタだった。


ある日、あれっ?

私、40才になったんだ‥‥‥

誕生日も年齢も、忘れていた。


私と娘と、それからの生活は母子家庭となり、様々な障害に出合うことになった。


その5年後には、右の乳房にしこりが出来た。

日増にそのしこりは大きくなる。

もう、ダメだ‥‥

乳癌なら、もう助かる見込みはない、と、
死を覚悟した。

検査に行く前に、娘に残さなくてはと、生命保険に入りまくった。

その後、検査と手術。

大きな塊を持った先生が、悪性でなくて良かったね。でも、これは変わってるからと、先生たちに見せていた。

私は‥‥生きろ、と。

それからもまだまだ色々あって、



1997年の初秋に、

最大の不思議が降りて来た。


それが、祖先から送られた

メデイスンホィール✨✨✨


そして、
不思議の世界へと導かれる10年が続いた。

それも、インディアンの祖先が、

日本の祖先へと導くという、

2つの世界を学ぶこととなった。


辛く悲しいことの連続の人生だったけど、

メデイスンホィールの教えから、

私の中の全てが、必要で起きていたと、

その試練をギフトにするのは自分だと。


一気に変わった。

試練があると、何を気づけと?

そして、ギフトとして受けとる楽しみと変わった。

すべては、みんなにシェアしていこう、と。


思いひとつで、人生は激変する❗

幸福になるには、感謝❤

感謝する気持ちが心から生まれて来ると、

この世の美しい輝きが見えてくる✨


平成は、私にとって、最大の試練と、

学び、そして、

正しく美しい道を歩くことを導かれた❤


沢山の愛の人々との出逢いと、ご縁に、
深く感謝ができることに、

心から、ありがとうごさいますm(._.)m💓


令和もまた、宜しくお願い致します✨💕✨

皆様が幸福な世界を生きられますように❤