シャーマンの環~から
私たちインディアンでない者たちのほとんどは季節の魔術、
大地の精妙なリズム、自然界の日毎の恵みに触れない。
春、鳥が巣を作り、木々が芽吹き、川が生命で膨れ上がる。
だが、私たちはほとんど目を止めない。
こうしたことに注意を払うには忙しすぎるのだ。
だが、わたしたちは注意を払わなければならない。
なぜなら、わたしたちは自然に、そして互いに、
しっかりと結びついているから。
儀式を再発見し、それによって自分を再発見しなければならない。
自然との絆を日々強めることが必要だ。
わたしたちの中で昇る太陽を出迎え、
沈む太陽に別れを告げる者は少ない。
月に吠えるものは多くない。
雨雲に、育ちつつあるトウモロコシに、死の霊に歌いかけない。
私たちは自分のルーツから離れて漂い、憂鬱が蔓延している。
今こそ私たちは、聖なる中心と繋がりをもう一度確認し、
ひとりひとりに意味のある儀式を作り出さなければならない。
ナンシー・ウッド著
私たちの国、日本にも同じように「祭り」という形でその儀式は存在しています。
しかし、古代から続くものの中にはすでに消えてしまったものも多いのです。
天皇や神社、仏教には秘められて残され今も執り行われていますが、
それは「特別な儀式」となり、一般の民からは遠いものとなっています。
暦も新暦を使うようになり、旧暦は知る人しか大切に感じていません。
しかし、日本の儀式は旧暦にこそ適応しています。
それさえも、人が集まらないからと、
意味がある「日」を変更して行なっています。
日本的に考えると、「その日」はきっと重要な「日」のはずです。
が、人が遠のいてしまう方がもっと大変なことになりますから、
致し方ないと思います。
何よりも大切なのは、ひとりひとりの意識でしょう。
日が昇り、普通に始まり、日が沈むという一日。
その始まりから終わりまでの時間には、
目に見えるものから見えないものまで、
数え切れないくらいの「恵み」を頂き、「助けられ」、「関わり」がある。
自然界が、生きものたちが、人々が、すべてが「輪」となり循環しながら、
サイクルが回っている。
普通に、ただ、普通に。
当たり前のことになってしまい、
普通であることに感謝することを気づかなくなってしまう。
先人達は目覚めから就寝まで、すべてに感謝して「手を合わせた」
お日様が昇るとき、その光に向かい手を合わせた。
大地にはその土を手に取り、言葉をかけ感謝した。
水にも、飲水から禊祓いまでを願い、感謝した。
風は季節を運び、時を知らせる、感謝した。
山々に、木々に、作物に、一つ一つの種に・・・・感謝した。
鳥や動物、すべての生きもの達が運ぶ恩恵に、感謝した。
月の変化にもそれぞれ適応する意味を知り、感謝した。
何をすることよりも・・・・・
すべての存在があり、命があり、、息吹いていることを、
そしてその「すべての存在」があってこその
・・・・・私たち、であることを。

