1996年夏。
初めての海外旅行。
チャイ売りのおじさんは、独特の低いビブラート音で、
デリーからムンバイに行く長い列車の旅の中で、運悪くトレインジャックに遭った。
私たちは1等寝台を予約して乗り込んで、落ち着いたところに、たくさんの鉢巻を巻いた人々が乗り込んできた。
実は、この電車には乗らないほうがいいよ、と親切なインド人が忠告してくれたのに、すぐに人をだまそうとするインド人にうんざりしていた時だったので、彼を信じなかった。
私たちは、一番下のクラスの車両に押し込められた。
でも、そんな危険信号よりも、疲れていた。眠りたかった。緊張の中、狭い空間で人に見られながら過ごす長時間。
緊張がふと途切れた瞬間、気を失い、私は横に倒れて床で頭を打った。
覚えているのは、車両前後の入り口を何かでロックしている一般市民や旅行者が集まっている車両に無事保護され、安心し、ただ泣いた。
怖かった。
私は、あまりに小さい。
大学の夏休みに、友達4人とインドへ行った。
10代だった。
10代だった。
初めての海外旅行。
丁度テレビでは、芸能人が発展途上国へバックパッカーとして旅に出る番組が流行っていた。
私たちも、行ってみたい。
カルチャーショック、というものを、どこの国に行っても覚えるけれど、生意気で、世の中を知ったつもりで何も知らなかった10代の私の心に、インドという国は突き刺さった。
夜に降り立ったデリーの町並みは真っ暗で、空港からホテルに向かうタクシーの中から見えた外の世界は、色の黒いインド人の手のひらと目だけがウヨウヨと闇の中をさまよっていて不気味だった。
一夜明けてホテルのバルコニーから見た外の世界は、日本人の目から見たら、「廃墟」だった。
土でできた崩れかけた家。
カルチャーショック、というものを、どこの国に行っても覚えるけれど、生意気で、世の中を知ったつもりで何も知らなかった10代の私の心に、インドという国は突き刺さった。
夜に降り立ったデリーの町並みは真っ暗で、空港からホテルに向かうタクシーの中から見えた外の世界は、色の黒いインド人の手のひらと目だけがウヨウヨと闇の中をさまよっていて不気味だった。
一夜明けてホテルのバルコニーから見た外の世界は、日本人の目から見たら、「廃墟」だった。
土でできた崩れかけた家。
スラムのような光景。
屋根で寝ている人々。
ショックだった。
ショックだった。
こんな世界で、人が生きているのかと。
牛が街を徘徊し、交通渋滞を引き起こす。
牛が街を徘徊し、交通渋滞を引き起こす。
目の前で、牛がボトボトと滝のような糞を落とし、その後のスコールで道が水没し、その糞が混じっている茶色の濁流の中で、子供たちがはしゃいで水遊びをしていた。
チャイ売りのおじさんは、独特の低いビブラート音で、
「チャイーチャイチャイー」と一杯1円の自家製チャイを裸足で売り歩き、子供たちはバクシーシ(お布施)を請うて、私たちに小さな汚れた手のひらと鋭い目を向けた。
”リクシャー”と呼ばれる人力車をこぐインド人たち。私たちはお金があったのに、なぜかすごくケチって、4人で一台に乗せてもらうよう交渉した。
”リクシャー”と呼ばれる人力車をこぐインド人たち。私たちはお金があったのに、なぜかすごくケチって、4人で一台に乗せてもらうよう交渉した。
4つの最低10キロあるバックパックと大人4人。どんなに重くても、力いっぱい、前に進もうと自転車ペダルをこぐ、細く黒光りするふくらはぎを、後ろのイスに座って眺めていた自分を思い出す。
私は、両親から一人部屋を与えられ、食事を与えられていた生活が、守られていて大切なものに感じた。
私は、両親から一人部屋を与えられ、食事を与えられていた生活が、守られていて大切なものに感じた。
デリーからムンバイに行く長い列車の旅の中で、運悪くトレインジャックに遭った。
私たちは1等寝台を予約して乗り込んで、落ち着いたところに、たくさんの鉢巻を巻いた人々が乗り込んできた。
実は、この電車には乗らないほうがいいよ、と親切なインド人が忠告してくれたのに、すぐに人をだまそうとするインド人にうんざりしていた時だったので、彼を信じなかった。
私たちは、一番下のクラスの車両に押し込められた。
一等寝台のフカフカベットと違って、硬くて、背もたれが直角な木のイスだった。
そこに何時間乗っていたのだろうか。
電車が止められて、どんどん人が電車に流れ込んできて、”エイエイオー!!”のように、よく分からない言葉で同じ言葉をずっと叫んでいる。
血走った目。
逃げ出したくても、窓の外は荒野。
逃げ出したくても、窓の外は荒野。
電車の窓は鉄格子。
通路には、人、人。
逃げるところなんて、なかった。
周りを囲む、肌黒い肌から光る白い眼。
周りを囲む、肌黒い肌から光る白い眼。
何か言ってくるけれど、理解ができなかった。
インド人は特定の草を歯ブラシ代わりに使っていて、遊んでその端くれをペッペッとこちらに飛ばしてくる。
インド人は特定の草を歯ブラシ代わりに使っていて、遊んでその端くれをペッペッとこちらに飛ばしてくる。
まだまだ血気盛んだった10代の私は、日本語で、
”汚いねん!やめろや!!”
と恐怖で吠えた。
一緒にいた友達が、
”やめて!落ち着いて!!
反抗したらあかん!!”
と賢く落ち着いた言葉をくれた。
彼女がいなかったら、殺されてしまったかな。
嫌がる私たちの胸やお尻をさわって面白がる。ああ、私は犯されて殺されるんだとなんとなく、脳裏をよぎった。
彼女がいなかったら、殺されてしまったかな。
嫌がる私たちの胸やお尻をさわって面白がる。ああ、私は犯されて殺されるんだとなんとなく、脳裏をよぎった。
でも、そんな危険信号よりも、疲れていた。眠りたかった。緊張の中、狭い空間で人に見られながら過ごす長時間。
緊張がふと途切れた瞬間、気を失い、私は横に倒れて床で頭を打った。
頭を打ったことで、すごくすごく痛かったので、すぐに目が覚めた。
今思い出すと、笑える。
気を失ったのではなく、私は寝てしまったのだ。
あの緊張の中でも、疲れたら私は寝る人間なんだな、と自分で自分があきれる。
でもそれがあって、そのインド人たちは、
あの緊張の中でも、疲れたら私は寝る人間なんだな、と自分で自分があきれる。
でもそれがあって、そのインド人たちは、
なんだお前、大丈夫か?
みたいに頭をなでてくれ、心配してくれているようにも見えた。
ワイシャツを着た身なりのいい一人のインド人が、私たちのところに駆け込んできて、英語で言う。
大丈夫か。彼らの言葉は、私にも分からない。ここにいてはいけない。
ワイシャツを着た身なりのいい一人のインド人が、私たちのところに駆け込んできて、英語で言う。
大丈夫か。彼らの言葉は、私にも分からない。ここにいてはいけない。
助けてやるから、ついてきなさい。
真っ暗闇に光線が走ったようだった。
でも、この人が私たちを騙しているとしたら?意見が分かれたけど、ここにいるよりいいと判断し、ついて行った。
ワイシャツを着た彼の背中を追って、ギュウギュウ詰めの車内を掻き分け、前の車両に走った。
真っ暗闇に光線が走ったようだった。
でも、この人が私たちを騙しているとしたら?意見が分かれたけど、ここにいるよりいいと判断し、ついて行った。
ワイシャツを着た彼の背中を追って、ギュウギュウ詰めの車内を掻き分け、前の車両に走った。
一番後ろの友達が、さらわれたりしないだろうか、と気になって何度も振り返った。
手を繋いであげればよかったと、今でも後悔する。
手を繋いであげればよかったと、今でも後悔する。
でも、自分に精一杯だった。
黒い、インド人の腕が伸びてきて、ドサクサにまぎれて胸をつかまれ、お尻を触られ、後ろに引っ張られる。バックパックを強く引っ張られて、もともと15キロあったので後ろにひっくり返ってしまった。
黒い、インド人の腕が伸びてきて、ドサクサにまぎれて胸をつかまれ、お尻を触られ、後ろに引っ張られる。バックパックを強く引っ張られて、もともと15キロあったので後ろにひっくり返ってしまった。
下から見上げると、インド人たちはニヤニヤ笑っていた。
怖がっている私たちを面白がっていた。
なにくそと起き上がって、伸びる手を振り払い、また走った。あまりに夢中だったから、どうやって車両を移動したか、あまり覚えていない。
覚えているのは、車両前後の入り口を何かでロックしている一般市民や旅行者が集まっている車両に無事保護され、安心し、ただ泣いた。
怖かった。
同時に、悔しかった。
女である自分。
そういう、性の対象にされてしまう危険性を身に覚えたとき、女である自分を嫌った。
友達がどんな状態だったんだろうとか、困惑していて自分のことに精一杯で覚えてはいない。
でもみんな怪我はなく、無事だった。
友達がどんな状態だったんだろうとか、困惑していて自分のことに精一杯で覚えてはいない。
でもみんな怪我はなく、無事だった。
ただ、みんな泣いていた。
ふと、5歳くらいの小さなインド人の女の子がやってきて、泣かないで、のしぐさをして笑って慰めてくれた。
そして彼女のお母さんがやってきて、何をされたの?と聞いた。
胸を触られ、お尻を触られ、倒された、と泣きじゃくりながら言った。片言の英語しか話せなかったし、多分通じてはいなかっただろう。
でも、そのお母さんは私を強く抱きしめて
”I am sorry,sorry for you.But please don't hate Indian.There are more good people here.They are bad PEOPLE.Please don't hate India.”
ごめんなさいね。でもインド人を嫌わないでほしいの。ここには良人はもっといるから。あの人たちは、悪い人たち。お願い、インドを嫌わないで。
と痛みを込めて言った。
私は今でもこの言葉と、抱いてくれたお母さんの暖かくて柔らかい腕の中が忘れられない。
私は彼女の腕の中、より安心して、子供みたいに声を出して泣いた。
見なくていい世界、見ないほうがいい世界がある。
日本に生まれたなら、インドや中国内部や、アフリカの貧しい国々は、直接見ないほうがいい。
テレビで見て、可哀相って言っているほうが、よっぽどいい。
そのほうが、きっと幸せかもしれない、と何度も思った。
けれど、その混沌の中でも、インドの母のように、勇気をくれる人々にたくさん逢う。
私は、インドの母の腕の中で、もっと世界を見に行こう、と思った。
ふと、5歳くらいの小さなインド人の女の子がやってきて、泣かないで、のしぐさをして笑って慰めてくれた。
そして彼女のお母さんがやってきて、何をされたの?と聞いた。
胸を触られ、お尻を触られ、倒された、と泣きじゃくりながら言った。片言の英語しか話せなかったし、多分通じてはいなかっただろう。
でも、そのお母さんは私を強く抱きしめて
”I am sorry,sorry for you.But please don't hate Indian.There are more good people here.They are bad PEOPLE.Please don't hate India.”
ごめんなさいね。でもインド人を嫌わないでほしいの。ここには良人はもっといるから。あの人たちは、悪い人たち。お願い、インドを嫌わないで。
と痛みを込めて言った。
私は今でもこの言葉と、抱いてくれたお母さんの暖かくて柔らかい腕の中が忘れられない。
私は彼女の腕の中、より安心して、子供みたいに声を出して泣いた。
見なくていい世界、見ないほうがいい世界がある。
日本に生まれたなら、インドや中国内部や、アフリカの貧しい国々は、直接見ないほうがいい。
テレビで見て、可哀相って言っているほうが、よっぽどいい。
そのほうが、きっと幸せかもしれない、と何度も思った。
けれど、その混沌の中でも、インドの母のように、勇気をくれる人々にたくさん逢う。
私は、インドの母の腕の中で、もっと世界を見に行こう、と思った。
私は、あまりに小さい。
何も知らない。
世界中のgood peopleに、逢いに行こうと決めたのだ。
世界中のgood peopleに、逢いに行こうと決めたのだ。