義母を見送り、喪中のぱり家です。
とても穏やかな最期だったと、先の記事で書きました。
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再度、まとめたいと思います。
認知症が明らかになってきたのは10年ほど前。
家事のやらかしが増え、お金をばらまき始めました。義父に知らせて返してきた人はいいですが、懐へ入れた人は誰だかわかりません…まあ数人は薄々わかっていますが。
そんなこんなで、義母は義父による支援と管理下で生活をすることになりましたが、本人が相当抑圧を感じて不満を持っていたことは後でわかりました。お金のバラマキも、「実家から遺産が入ったが、夫にそのお金を残したくない」という動機からのようでした。
義父の突然の死後、仏壇の義父の写真は伏せられていました。墓にも行きたがりませんでした。会いたくなかったのでしょう。
ぱり妻は主介護者となり、休日はほとんど実家にいくことになりましたが、どうしても子供では強制力は低く、また仕事と育児をしながら別居の身では目や手が行き届くはずもありません。
予定を忘れてデイをすっぽかして散歩に出かけ、買い物が増え、米に醤油・温泉水の在庫が廊下に並び、服でタンスが溢れました。抑圧がなくなってタガが外れたようです。
認知症は進行していきました。
そして、ある冬の夜の徘徊と妄想(私の家の前の電柱を神様といって拝み続けていた)から、妻が説得して入院させ、義母の長い旅路が始まったのでした。
妄想は多少ありながら、危険行動は抑制されており退院可能との診断でしたが、「今度同じことが起こったら私はもたない」と妻が訴え、独居困難として老健へ、そして特養へと移りました。
もちろんずっと帰宅願望はありましたが、泣きわめくでもなく暴れるでもなく、もともと人当たりは良いので、職員とも仲良く交流しているようでした。
そして、昨年、発熱の入院でがんがあるらしいことがわかりました。高齢で、根治療法に耐えられないと診断され、ステント挿入術だけで退院したのです。ただ、がんの進行のためかすぐ詰まって熱発しては入院するのでした。
だがしかし、認知症の恩恵といえるでしょう、告知を受けてもその日のうちに忘れ、入院していたことも面会の時には忘れ、痛みでのたうち回ることもなく、不安におびえることもなく特養職員と交流し、入退院を繰り返しても変わらず穏やかな生活を送っていました。
先日ついに金属ステントすら詰まり、「打つ手がない」と宣告されました。退院カンファレンスで、緩和及び施設看取りの方針が確認されました。終末期の始まりです。
本人はいたってのんきでした。
そうと決まれば、施設の対応が柔軟に変わります。
適宜解熱剤を使いながら、予約なしで面会自由にしていただきました(義妹は退院後一度も通いませんでした)。
食は細り、徐々に食べなくなっていきましたので「好きなものを食べてもらいましょう」と、本人の希望を伝えてもらっては、私どもはそれを差し入れるのでした。
義歯をいちいち入れずとも歯茎で潰して飲み込める柔らかい食事を探し求めては持参しました。
試食しましたが、まあ味は頑張っていますね(笑)。
ああそうそう、この「柔らかさ」「嚥下調整食のレベル」に関しては、学会ごと・病院ごとに評価表のランク名が違うという大問題があります。「とろみ」に関しても、複数の異なる規格があるそうです…
いつか統一規格ができますように。
娘(ぱり妻)が「あーん」と食事介助をすることもありました。
食べるのに疲れると車いすで寝入ってしまいますので、完全に飲み込んでから次の一口を運ぶよう気を付けていました。
退院時には歩くこともできなくなっており、足の力も弱っていって移乗も介助が増えていきました。うとうとしている時間が長くなり、面会時以外には離床もほぼしないにもかかわらず、褥瘡もありませんでしたので、定時に体位変換が図られているものと思われました。
もちろん飲水も少なくなっていました。果汁ジュースやゼリーは喜んで飲むので、100%果汁のジュースやゼリーを差し入れました。
私どもはベッドで寝ている義母の手足を握りまたはさすり、「ずっとみんな一緒だよ」と話しかけるのでした。
「その日」はやってきました。
まったく飲み食いしない2日間の後。脈が触れなくなり、血圧はやっとのことで測れるが、息が荒く小さくなり、二人の娘(ぱり妻と義妹)に危篤の知らせが来ました。
「口を動かしてるけど声にならないので何を言っているかはわからない」とのこと。
静かに静かに、義母は逝ったのです。
私と娘は夜に到着しました。
ただ冷たいだけの、むくみもない、きれいな手足。
苦悶のしわのない穏やかな顔。
それが、義母の「旅路の終わり」でした。
あまりの穏やかさに、妻自身も気持ちを無用に乱されることなく、穏やかで和やかでした。
冷静に、葬儀一般の手続きや、知らせるべき人への連絡を開始することができました。
そのうち葬儀社のことを書きたいと思います。
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私どもはそういった最期のプロセスに関する理解をしていました。
「わかっていたこと」だから、「やり残したこと」に苦渋することもなく、「お別れ」を迎えることができました。
さすがに「いつ」それが始まるかは神のみぞ知るところだったので、それまでのストレスはかなりのものでしたが。
人は枯れていくようにできています。
食べなくなってからは1週間程度…と言われます。
痛みがコントロールできているとするならば、栄養面に関しては無理をしないこと。
欲しがるのに与えないのは違いますが。
消化吸収もエネルギーがいります。それがしんどいという状態になれば、食欲が落ちていきます。
自然の流れに乗れれば、覚醒から意識の混濁へ、苦痛を避ける方向に体は動いています。
起きているのもエネルギーがいるので、眠っている時間が長くなります。
そうして余分なものの排出だけをして、しんどさを回避するのです。
むやみと点滴や薬をつないでいると、体はそれを処理しないといけないので本人は負担を感じています。
「しんどくて寝ていられない」わけです。
最期のその瞬間は、それまでと呼吸が変わります。
大きく呼吸をしたあと、10秒ほど呼吸が止まり、また呼吸するという波のような息づかいになります。そして、下顎呼吸(あごを上下させる呼吸)に変わります。
苦しそうに見えるかもしれませんが、この頃には本人の意識はなく、苦しみもありません。
やがて呼吸が止まり、胸やあごの動きが止まります。呼吸が止まると、脈がふれなくなり、心臓も止まります。
在宅での看取りの場合、医師が立ち会うことはほとんどありませんし、家族がこの瞬間に気がつかないこともあります。
医師が三徴候 (呼吸停止、心拍停止、瞳孔散大・対光反射消失) を確認して「死亡宣告」をした瞬間が、行政上の「死亡時刻」です。
自宅で亡くなる場合、かかりつけ医がいれば連絡すればいいですが、そうでなければ救急車を呼んで病院で死亡宣告を受けないと、「不審死」(死亡原因の不明な死)として警察医の解剖を経ることになります。
「その日」に向かってきちんといらないものを捨てていけば、安楽で穏やかな終末が訪れるでしょう。
栄耀栄華も、華やかな社交界も、墓には持っていけません。


