より。
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特養から自宅に、時間制限はありますが外出を利用して4年ぶりに戻った義母のために、近所のお年寄りが妻の呼びかけに応じて集まってくれていました。
何枚か記念写真も撮りました。
あっという間に時間が過ぎます。
お話は尽きず、義母は疲れたそぶりもありませんが、介護タクシーが迎えに来ました。
シンデレラの時間は終わりです。
淑女の皆様は、義母を見送ってくださいました。
妻と義妹は同じように外へ出ていきます。妻は同乗して特養に戻っていくのです。
私は婿ですので、黒子(正しくは黒衣(くろご))に徹していました。車いすの向きを変えたり、扉を外して広くしたり、妻と義妹に声を掛けたりしていたのです。
小鹿野歌舞伎HPより
もちろんこっちではない…
黒子のバスケ©藤巻忠俊、黒子のバスケ製作委員会
面会が終わると、取り外した扉をはめ直したり、廊下の家具を戻したり、一人残って片づけをしていました。
すると――
外から「ぱりさーん」と呼ぶ声がします。
一番高齢の老淑女が「今日はほんとにありがとう」と声を掛けてくださったのでした。
「いえいえ、みなさんこそありがとうございました…」
とやっとのことで声を絞り出しました。
私の尽力を認めてくださったようです。
「またよろしくお願いします!」
と声を掛けていました。妻には無断で「また」と言ってしまった…
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妻も感じ入るところ大だったようで、よかったと何度も口に出していました。
「思い残すことあったら嫌だなと思って」
そこで妻に指摘してやりました。
「お葬式会場で、あの皆さんに『いっぺんでも会いたかった』って泣かれるところだったんやで」
「…頑張ってよかった――」
「またできる?」
「うーん…」
妻は病院の余命宣告を重く受け止めており、まもなく命が尽きるのではないかと考えていたのです。「次」はあるのかと…
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しかし、第2ラウンドはすぐにやってきました。
妻の恩師が卒業後も義母とは友誼を保っており、私どもの結婚式にも参列してくれたほどですが、この方が「会いたい」と言ってきてくれたのです。
もちろん事情はある程度報告しています。ですから…余命いくばくもない状態を想定して、お忙しいスケジュールを縫って意を決してご依頼してきてくださったのです。
🄫ぱりさいびと
特養にお連れしますと、別室で面会させてもらえました。
「誰だかわかる?」
果たして義母は即答で「〇〇先生」と…!
「おいくつになりましたか?」
「さあ…何歳やったかな。73」
全員が噴き出しました。義母は戦中の生まれ。幾つサバを読んでいるのか。
どんな歌が好きだったかという話になり、少し先生が歌いかけると、続いて歌い始めました。
「リンゴの歌」も二人で歌われます。三橋美智也や都はるみ、いくつも先生は思い出して呼びかけてくださり、義母はよく覚えていました。島倉千代子の「からたち日記」は何度も歌っていました。
孫(ぱり娘)の話も、楽し気に聞いています。
先生もぱり娘のことを気に入ってくださっているので、話が弾んでいます。
その他、記憶の怪しいところは「わからん」と言いながらも、そのわからないということを含めて、年齢以外は(笑)正確に応答している様子に、先生は、
「もっと何にもわからないような状態を想像してたんだけど、どうしてどうして、全然元気! まだまだ生きられるわね。またお話ししに来れるわ! ぱりさん、お願いね」
と喜んでおられました。
私も
「自宅」での義母を見て
「まだまだ長生きするのではないか…」
と思ったのです。
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「まだ5年くらい生きるんちゃうかな?」
と言ってみました。
妻は「え~? そうかなあ…」と悲観的です。




