平成1x年。

ようやく「リハビリテーションセラピストの社会的地位」について考え始めたころ。

某名門大病院に努めていた私は、幹部に要望書を提出し続け、連戦連敗中でした。

そこへ、衝撃が。

先頭に立っていただいた部長医師が副院長を解任され、病院を去られるというお話を聞きました。

もとより、名門大病院であり、手術でも何でも稼ぐ部門、優良コンテンツはありました。リハは弱小部門でした。しかし、リハビリテーションの拡充は時代の要請になる、あって当たり前の時代が来る、稼ぐ部門になる絵図も描ける。その私たちの思いを完全に踏みにじった決定でした。

しかも、要望書の動機を「私と上司の確執」ととらえ、真剣に聞く耳を持たれませんでした。

これは身を犠牲にして主張が正当であったことを知っていってもらうしかない。そう思いつめた私は、「転職」を考え始めました。

 

始めの見学先を決めたのはとても簡単な理由。

自宅の沿線で、リハビリテーション医師が常勤であるということ。

そして気に入った理由。見学に行くと、職員と医師がとても密着して話していたこと。そして、PT・OT・STがそろっていたこと。世間知らずの私にはカルチャーショックでした。

また、医師自ら見学案内をしてくださり、とても壮大な夢を語り、地域密着だが中堅規模の歴史ある病院で、一代でチャレンジをしようとしていらっしゃることに強い共感を覚えたことでした。「今現在スタッフが少ない」ことなど、気にもなりませんでした。

面接をしていただいた会長先生ご夫婦にも、一目で好感を覚え、受けに来てよかった、落されてもこの人たちに会えただけでも本望だと思いました。リハ部長が事務長や会長先生と並んでセラピストの面接に参加しておられる、それだけで、リハがここでは重視されているのだなと羨ましく思ったものでした。

 

しかし、私は某大病院が「機能評価」を受けようとしているのを、見過ごしたくありませんでした。仲間たちが最後の追い込みをしている中、せめて一緒に受審を全うしたい、何とか移籍の日を4月でなくずらせないかとお願いしたものですから、面接合格はすまいと少しあきらめてもいました。

 

果して、合格通知がきました!

望みの日からの勤務でよいと、条件が通ったのです!

こうして私の移籍先は決まりました。

(後で、部長医師からは「4月に来てほしかった、施設基準取得準備でてんてこまいだった」と愚痴られたものです)