徳川の260年間は、日本は戦も無く平和の恩恵に預かって来ました。
鎖国が海外からの侵略を防いでいたのです。

幕末から明治維新の頃は、イギリスが強力な海軍力で世界中に植民地を持ち、
それまで豊かだった中国の清王朝に対して、
インドから採れる阿片で人民もろともガタガタにしてしまいます。


上海で、中国の人間が家畜のように扱われているのをマトモに見て来た高杉晋作は、
非常に危機感を持ち立ち上がります。

1864年
下関で長州がイギリス、フランス、オランダ、
アメリカの艦隊に負けますが、(下関戦争)
講和に出た高杉は日本語の判らない西欧人に対して
関係のない古事記を朗読して、
彼らには一歩も引かず
日本の武士を印象づけました。

薩摩藩も世界最強のイギリス艦隊と交戦して、
イギリスの最新鋭アームストロング砲の欠陥で、
自爆した事もあり、薩摩武士の奮闘で(薩英戦争)
薩摩藩と講和をせざるを得なかった。

これらの事で日本と戦う事は難しいと判断した
西欧人は、日本の強さを利用することとなった。


1894年の日清戦争、1904年の日露戦争では
西欧の代理戦争となり、特に日露戦争では
日本軍人がかなり犠牲を出した。

暫く時を経て、1932年満州国設立となり、ここからがアジア利権を日本が脅かすようになり、
ソビエトとアメリカの邪魔者となるのです。

日本は優れた技術開発をもって大東亜戦争開戦。
パールハーバー奇襲攻撃の時(1941年)には
間違いなく世界最強の空母艦隊と航空機編成を持っていました。


しかし、イギリス、オランダなどの
ヨーロッパ諸国には完勝したものの、
アメリカの情報能力と工業生産力、
それに石油資源の涸渇により、
アメリカにだけは負けてしまい終戦を迎えました。

以上のように、明治維新後は、図らずしも戦争ばかりをさせられる事になりました。

結局は日本は上手く利用されてしまったのです。
勿論、日本が欧米に倣って列強国になる事が
国家を繁栄させると信じていた事も確かですが。

明治維新の時からしばらくの内には
大和魂の何たるかを知る大物が、
暗殺されたか、内戦で殺されたかで、
グローバル化を阻止出来る人材が居なくなっていたのが大きかったですね。