「父さんが、死ぬ前に
もう一度くらい母さんと
ご飯を食べたいって言ってたよ」
そう母に伝えた。
「お断りしまーす」
母は笑って答えた。
いつものやりとりだった。
私は少しだけイラッとして
「まぁー、いつか死ぬ前にくらいいいんじゃない?」
そう言った。
私は
父と母がもう一度
一緒にいる姿を見たかった…
父の老いも進んでいる
だから
もう一度くらい
最後に一度くらい
そう思っていた。
それは
私にとっては
愛情から出てきた願いだった。
だからこそ
母にも「そうしてほしい」と
思っていたんだと思う。
でも、
ある日母が言った。
「お父さんのこと考えると
いろんなこと思い出して
体が震えてくるんだよ」
その言葉を聞いて、私はハッとした。
ああ
そうだ
私は
母の気持ちを
見ていなかった
私はずっと
「父にもう一度会ってほしい」
という自分の願いから
母を見ていた。
でも母には
母の時間がある。
父との間にあったこと
殴られたこと
怖かったこと
痛かったこと
私は、
いつの間にか
「過ぎたこと」にできていたが
でも母の身体は
まだ覚えていた。
父のことを考えるだけで
身体が震えるほどに…
そう思ったら
胸が痛くなった。
私は
母に会ってほしいと思っていた。
でも
母にとっては
「会う」ということが
幸せとは限らない。
むしろ
自分を守るために
「会わない」という選択が
必要なのかもしれない。
そのあと
父のところへ行くと
「お母さんに会いたいな」
「お母さんは元気か?」
「お母さんには長生きしてほしいんだ」
そう言った。
父には父の思いがある
それも本当
そして母には
母の思いがある
それも本当
どちらかを
正しくするために
どちらかを
間違いにする必要なんてなかった
帰ってから
母に電話をした。
「さっき母さんが言ってたこと、
帰ってから考えてたんだ。
そりゃそうだよなって思って。
いろんなことがあって、
別居して、離婚して。
それなのに私
母さんの気持ちを
全然考えてあげられてなかったね。
ごめんね」
母は
「あらあら
お気遣いありがとう。
あんたからしたら
たった一人の父さんだもんね。
わかるよ」
と言った。
私は
「いつも私の気持ちばかり
押しつけてたなって思って
母さんの気持ちに
寄り添えてなかった」
そう伝えた。
母は、
「いいんだよ。
わかってるから。
ありがとう」
と言った。
そして、
「会わないけど、
もう卒業したから」
そうも言った。
その言葉を聞いて、
私はしばらく考えた。
母は
父との関係を
「終わらせた」のかもしれない。
そして
そこから卒業して
自分の人生を
生きている。
私はこれまで
「最後に一度くらい」
という自分の願いを
母にも持ってほしいと
思っていた。
でも、それはもしかしたら
母の人生を
私の願いのほうへ
動かそうとしていたことなのかもしれない。
私には私の願いがある。
それは、
悪いことじゃない。
父と母がもう一度
一緒にご飯を食べてほしい。
私は、
そう願っていい。
でも
母には
その願いに応える義務はない。
母には
母自身の人生がある。
母が
「私は会わない」
と選んだなら
私はその選択を
尊重したい。
それは
母の選択を
「正しい」と評価することでもない。
私が納得するために
理由を求めることでもない。
ただ、
「母は、そう選んだんだね」
と受け取ること。
それが、
母の人生を
母に返すことなのかもしれない。
母の人生を
私の願いから解放すること。
それもまた
母を大切にすることなのかもしれない。
そう思ったら
胸がチクッとした。
だって
私の願いは
叶わないんだもの。
やっぱり寂しい。
切ない。
できれば
父と母がもう一度
一緒にご飯を食べる姿を見たかった。
その気持ちは
なくならない。
でも、
なくさなくていいんだと思う。
私は寂しい。
それでも
母の選択を尊重できる。
私は願っている。
それでも
母に選ばせることができる。
私の愛情と
母の自由
どちらかを
捨てなくてもいい。
「私はこう願っている」
と、
「あなたは、そうしたくないんだね」
を、
同時に持っていていい。
相手を想うということは
自分の願いを
相手に叶えてもらうことではなくて
相手が自分とは違う選択をしたときに
その人の人生を
その人に返してあげることなのかもしれない。
母は母の人生を生きる。
私は私の人生を生きる。
父は父の人生を生きる。
それぞれの願いも
それぞれの選択も
それぞれの人生の中に
あっていい。
胸のチクッとを
抱えたままでもいい。
寂しさを抱えたままでもいい。
それでも私は
「お母さんは、
お母さんの人生を生きていいよ」
と、
心から思える。
それが今の私にできる、
母への
ひとつの愛情なんだと思う。
最後まで読んでくださりありがとうございました。


